「店をやめたそうあるな。お前、人生舐めてると痛い目みるあるよ」
 アルフレッドが餃子にかじりついていると、厨房から出てきた耀は向かいの席に腰かけた。
「ふぁいひょうふはほはーはーはみふはっはは」
「食べながら喋らないでよアルフレッド……飛んでる飛んでる!」
 耀の隣でマシューが顔をしかめる。昨日今日と一緒に生活しただけなのに、まるで幼い頃からずっとここまでともに育った兄弟のように、彼も自分も気安くなった。
「太好了、太好了。我の故郷じゃ食べ散らかすのは『美味しかった』っていう印あるよ」
 そう言ったくせに、耀は笑いもせずにため息をついた。何か含むところがありそうだ。
「で? まさか飯食いに来ただけじゃねーあるよな」
「そうそう、君に訊きたいことがあったんだよ。君んとこは納めてるんだろ? ――上納金」
 口の中のものを飲み込んで、なんだかよくはわからないグラスの中の茶色い液体を飲み干す。味気がなく少し苦かった。
「お前らと違ってコネがねーあるから仕方なく。二ヵ月に一度は経営難を理由に延納してるあるけどな。まぁ、お前のとこもそのコネがなくなった以上、どうなることやら……」
 やれやれ、と呟いた耀は、アーサーの失踪を完全に対岸の火事とみているようだった。だが、じきに彼のそんな人並みに平穏な日々も終わる。彼はまだそれを知らない。それは見事な箸さばきでいまだ呑気に海老をつついているマシューも同様だ。
「だから、それを利用するんだよ」
 ぴ、と箸先のソースが飛んだ。
「……利用? まさかお前がやめたのって……」
「アーサーを捜し出すためだよ」
 さすが裏社会に詳しい耀は、もうアルフレッドの計略を察したらしい。
「あへんをあぶり出す気あるか? ったく恐ろしいガキあるな……お前だけは敵に回したくねーある……」
「じゃあ協力してくれるかい? 簡単だよ、君はただ同郷のネットワークを使って、噂を流してくれればいい。それから奴らとの連絡手段があったら教えてほしいな」
 しばらく躊躇った後、耀は皿を下げるふりで囁いた。
「……来週の木曜、奴らはたぶん上納金回収にウチに来るある。――でも、ほんとにお前は、あの店を潰せるあるか?」
「潰すわけじゃないよ」
「どうだか……下手すりゃ土地ごと転売されて……」
「それまでにアーサーが戻ってこればいい」
 自信満々に笑ったアルフレッドに、耀は心底呆れ果てたらしい。失笑を買ったが、構うものか。
 アーサーは戻ってくる。そのためにはどんな手段もいとわない。
「あへんがニューヨーク近辺にいなかったらどうするあるか」
「その時はその時さ。ただあの人なんだかんだ言って寂しがり屋だからね! 店の様子はいつもうかがってるような気がするんだ! それにあの人は、オーナーを裏切れない」
 そう、そのはずだ。アーサーがもはや老齢の彼女を心底尊敬し、忠誠を誓っていることは知っている。それをこんな私事で裏切ったからには、なんらかのけじめをつけたいと思っているはず。
「……食ったら早く出てけあるよ! それから、我はタダじゃ動かねーあるからな!」
 厨房へ戻りながら耀は叫んだ。口ではどうのこうのと言いながら、頼もしい傑物である。
「最新のパソコンでも送っておくよ――成功したらね!」
 マシューが食事を続けるのを眺めながら、どうして菊は彼らと別離したのだろうかと、そんなことをぼんやり考えた。


 噂は瞬く間に界隈に広まった。ヴァルガスファミリーの傘下になることを免れていた、特殊な嗜好で人気を集める軽食店が、ついにファミリーの要求を呑むという噂。それは今まで店が雇っていた凄腕の用心棒だか、昔ファミリーのボスを助けた命の恩人だかが店の資金を持って夜逃げしたからだとか、痴情のもつれで刃傷事件を起こして捕まったからだとか――諸説あったものの、もはや知らない者はいないと言っても過言ではなかった。
『アーサーが消えたってことは奴らには隠してたのに……なんでバレたんだかな……』
 電話口のフランシスはほとほと疲れ果てた声を出した。
「甘かったんじゃないの? 隣にも筒抜けだったじゃないか!」
『そりゃー一応耀には言っとかないと……ひょっとしたらあの人脈で見つけ出してくれるかもしれないし……まさか、あそこの従業員から漏れたのか?』
「かもね。一人うるさいのがいただろ」
 アルフレッドはしれっと言い放った。
『あーくそっ……もうお前、早くアーサー見つけてくれよ。金払うくらいで済むならいいけど、万一あの場所を追い出されるような事態になったら……』
「任せてよ。その代わり、そっちに何かアーサーから連絡がいったらすぐ教えてくれよ!」
『わかった。じゃあ、またな』
 電話を切ったアルフレッドの笑顔に気づいたのか、マシューはホットケーキを切り分けながら、不安げに瞳を揺らした。
「もし君がやったってバレたら大変なんじゃないの?」
「その時はその時さ」
「君って奴は……つくづく自由な奴だな」
「君みたいに育ちがよくないんだよ」
 その「育ちのよい」マシューが、運んできたホットケーキをテーブルに置く前に引ったくり、アルフレッドはメープルシロップだらけのそれにかじりついた。
 計画は完璧だと思うのに、どうしても成功したときのイメージが湧かない。
 もうすぐ、アーサーがいなくなったことを知ったマフィアが再び店に圧力をかけてくるはずだ。それを知ったアーサーは、何らかの方法で店に連絡を取るだろう。アーサーはあの店を見捨てて逃げることなどできない。
 だがそんなやり方でしぶしぶ出てきたアーサーを捕まえて、自分は何を言えばいいだろう。そ知らぬ顔で「もうどこにも行かないでくれよ」と泣き落とせばいい、と軽く考えていたが、その先のイメージが湧かないのだ。アーサーがどんな顔をして何を言うのか、自分たちの関係がどんなものになるのか。
 マシューが言うように、もしもこの茶番劇を仕掛けたのがアルフレッドだとバレたなら、二度とアーサーは口をきいてくれないだろう。ひょっとしたらアルフレッドは二度と店に戻れず、それでもマフィア牽制のために店を離れられないアーサーに会いたくて店に通い詰め、それこそ入店拒否され周囲をウロウロしながら待ち伏せする羽目になるかもしれない――そうなれば完全にただのストーカーだ。血が繋がった弟なら、裁判の時も有利だろうか?
 思考がどんどんどんどんネガティブな方に落ち込んでいって、アルフレッドは頭を振った。
「要はバレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」
 がつがつとホットケーキを口に放り込むアルフレッドを横目に見ながら、マシューがため息をつくのが見えたが、構うものか。
















(2008/5/27)



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