マシューが「できる限りのことはするから」と大変頼もしい台詞でアルフレッドを元気づけたから、アルフレッドはもう大船に乗ったつもりでいた。これでアーサーは見つかったも同然、いや、アーサーと関係を修復したも同然、くらい気分は晴れ晴れしかった。 しかしドラマにしか出てこないような高級マンションを辞去し、見知った道に辿り着く頃、だんだんとアルフレッドは冷静になってきた。 ――なんとかするって、一体何をしてくれるっていうんだ? アーサーにも父親にも普段から忘れ去られているような彼に、有力な情報が流れてくるとも思えない。 結局のところ、事態はまったく変わってはいないのだ。アルフレッドの気持ちが、よくも悪くも吹っ切れただけで。 もう何だって構うものか。アーサーが兄だろうと自分を見くびっていようと裏切ろうと、アルフレッドはアーサーの傍にいたいのだ。抱き締めてキスをして「好きだ」と何万回でも言ってやる。それだけだ。 アーサーを探すために仕事はやめよう、貯金も全部下ろして、保険も解約だ――頭の中で思い詰めながら、いつもの何気ない癖で郵便受けを開いた。そこには見慣れない光景が広がっていて、アルフレッドはしばし考え事を中断してそれを訝しむことにした。なんのことはない大きめの茶封筒。表にも裏にも、何も書いていない。どうやら直接投函されたもののようだ。 階段を上り、ジーンズのポケットから鍵を取り出しながら中を覗き込んだ。一見してはよくわからない小難しい細かい字が並んだ書類が何組か入っている。 あらためて部屋に帰り着くと、アルフレッドはその中身をベッドの中にぶちまけた。 「……『土地権利書』?」 見たこともないような長ったらしい単語が並ぶ書類を掻き分けている途中、一枚明らかに質の違う紙が出てきたので手に取る。二つ折りになったそれは上品な薄手の便箋で、そこに並んだ文字には、見覚えがあった。 顔を近付けて文面を確認する。それは確かに――アーサーからの手紙だった。 手紙には突然いなくなって済まないとか、お前と過ごした日々は幸せだったとか、店のみんなによろしくとか、そんなことが書き連ねてある後に、ようやく同封書類の解説が続く。どうやらこれは、アーサーの父親がアメリカで求めた一連の不動産であり、もはやイギリスに帰った彼には不要であるから売却しようとしていたところを、アーサーがもらい受けたものらしい。 (今まで母子二人、さぞ苦しい思いをしてきたことだろう。これは父としての責任を果たせなかった自分の、せめてもの償いである。幸せになってくれ、My dear son) 父親からの言伝だと記された一文に、なんだかそれまでの人生をすべて踏み躙られたような気がして、腹の中がカッと熱くなった。 今更こんな、紙切れ数枚で、すべてを清算したつもりでいるのか。誠意だと言うなら、彼もアーサーも、せめてこれを手渡しすべきだった。面と向かって、アルフレッドに抗弁の機会を与えるべきだった。 こんなやり方で何を言ったって、彼らの罪から逃れられはしない。逃れた気でいるなら、それはとんだ奢りだった。保護者としての責任を全うできなかった罪、再会しながらそれを黙っていた罪。 「金でなんでも解決できるだなんて、汚いよアーサー……」 力なく呟いた。 こんなものはいらない。ただ、アーサーに会いたい。会えたら二度と離さない。 その関係を何と呼ぶかなど、それはその時考えればいいことだ。 「し、仕事をやめてきた?」 二日連続で訪問を受けるとは思っていなかったらしいマシューは玄関口に立ったアルフレッドに目を丸くし、次いでその大荷物に目を留めた。 「それは――」 「ついでに部屋も引き払ってきたぞ。それから、この部屋は俺のものになったらしいから」 「は?」 戸惑うマシューを置いてさっさと中に入ると、てきぱきと荷ほどきを始めた。こんなことに時間を食ってはいられない。一刻も早くアーサーの手がかりを探さなければ。 「君がここに住むのは構わないけど、仕事……やめちゃったのかい?」 「そうだぞ!」 告げた時のフランシスの顔といったらなかった。頭の中で、交わした会話を思い出す。 (アーサーがいない店には用はないって?) (そうじゃない。この店で働けて本当に楽しかった。でも他にやることができたんだ。全部終わったら戻ってくるから) (……アーサーを探すのか?) (そうだよ。他に大事なものなんてないから) (金は? どうすんだ? あのなアルフレッド、甘く考えてるみたいだから言うけど、あいつ昔は暴れてた奴だし、すげぇ頭もキレるんだ。あいつが本気で逃げたら、お前には捕まえらんねぇよ) (それでも) (自分のせいでお前が路頭に迷うようなことになったらあいつ泣くぞ? 悪いこと言わないから、俺の目の届くとこにいてくれ) (心配ないぞ! 俺今すごく金持ちなんだ! このマンションを拠点にしてる。何かあったら連絡してよ) (おま、こんな高級住宅街……) (じゃ、あと頼んだよフランシス!) (おい!) 「はぁー……よくやめさせてくれたね」 呆けたようにアルフレッドが荷ほどきを続けるのを眺めていたマシューはようやく回復し、感心したように数回、頷いた。 「お金はあるって言ったらしぶしぶね」 「でもよかったね、ああいうところで働くの、やっぱりよくないと思うし。アーサー兄さんもアルフレッドも、抜け出せてよかった」 「……どういう意味だい?」 「……へ? だって好きで働いてたわけじゃないだろ、あんな格好させられてさ。初めて行った時、目のやり場がなかったよ」 あははは、と笑ったマシューは、誇りを持って働いていた店をけなされて不機嫌になったアルフレッドに気付かなかったようだった。 そういえば店に入ったばかりの頃、アーサーに言われたことがある。 (俺たちの仕事は、世間体は決してよくはないかもしれない。でもうちの店に来て、休憩して、元気をもらって、また社会を動かしていく人がいる。そう考えたら、すごく誇らしくならないか?) 「アーサー兄さんもね、頭はすごくいいんだよ。確かイギリスの名門パブリックスクールを首席で卒業してる。それなのに大学にも行かないで、なんであんな仕事に就いてたんだか……」 「マシューも今度うちの店に食べに来ればいいさ! そうしたらわかるよ」 「え、えーっ、やだよ、なんか恥ずかしいし……」 「じゃあ今度俺と行こう! ちょっとお金を払って座って待ってるだけで、美味しい料理が出てくるって実はスゴイことなんだからな!」 そうだそうしよう、と押し切ったアルフレッドにため息をついて、「ところで」とマシューは言った。 「どうやってアーサー兄さんを探せばいいかな」 「うん、それなんだよ。フランシスも言ってたけど、アーサーが本気で隠れたら捕まえられないって」 「いきなり萎える情報ありがとう……」 「だから俺は考えたんだ」 「何を?」 「もうこうなったら、道行く人全員の首根っこ掴んで『この男を知らないか』って訊いてみるしかないんじゃないかってね!」 「そんなことしてたら捕まっちゃうよ……」 「それくらい手段は選ばないって意味さ! ――アーサーにまた会うためなら、何だってしてやる」 そう、他には何もいらない。 (2008/5/22)
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