「あれ……どういうこと?」 今すぐこいつら帰らせますんで、とマフィアのボス二人が顔面蒼白で忙しそうに駆けずり回っているのをドアの陰からちらりと見やって、フランシスは見慣れた背中に声をかけた。しかしいつもの背中ではない。真っ白なシャツに覆われたその背中。手には包丁を持って、普段は滅多に見せない殺伐とした雰囲気を醸し出している、彼。 「な、なんでもねぇよ。ビビッたんだろ、この俺に!」 見守る先で、ブオォオオ、と一台、また一台と黒塗りの高級車が夕闇に消えていく。 「……名前、呼んでたけど、知り合いだったのかい?」 耐え切れずに、アルフレッドも机の下から這い出して問うた。 自分の知らないアーサーを知る者がここにも二人。こんな状況でそんな感情を抱くのもおかしな話だと自分でも思ったけれど、それでも心がもやもやして晴れなかった。 「しっ、知らねぇよあんなゴロツキ!」 なぜだかアーサーは真っ赤になって、慌てたように包丁をアルフレッドに差し出した。いきなり包丁を向けられて、思わず一歩引く。 「いや……ち、ちげぇよ、別にお前のことは刺さねぇって……」 「ご、ごめん、ちょっとびっくりしただけだよ」 こんなことくらいでビビッてしまって、なんとも不格好なことこの上ない。店の最大のピンチにのこのこテーブルの下に潜り込んでしまったことも、もはや言い訳のしようもないだろう。 はっきり分かった。アルフレッドはまだまだこんなものなのだ。 自分自身に絶望を感じてうちひしがれていると、先程のボス二人がアーサーのもとに駆け寄ってきた。神に赦しを乞うように、手を組んで泣き顔を向ける。 「もう二度とこんなことしないんで! だから本当に勘弁してください!」 「ヴェーッ、兄ちゃん! アーサー怖いよーっ!」 繰り返すが、なんとも異様な光景である。とくに弟の方のセリフにはアーサーも傷ついたのか、「なっ……」と顔を引きつらせた。 マフィアの身内の側も、事態が把握できていないのはこちらと同様のようで、苦虫を噛みつぶしたような顔でこめかみを押さえていたオールバックの金髪が、「ちょっといいか?」と手を上げた。 「お前ら、これはどういうことだ?」 がくぶると震え続ける兄弟に向けて問う。 「ヴェーッ、あのねあのね」 すぐさま弟の方が口を開いた。 「じいちゃんがまだうちのボスで、俺が地区長まかされてたとき、しょっちゅう抗争してたライバルマフィアがいてね。アーサーはそこの地区リーダーだったんだよ! いやぁ、あの時代は逃げて逃げて逃げまくったなぁ……」 昔を懐かしむ瞳で、なんだか情けないことをぺらぺらまくし立てる彼に、店のメンバーは皆なんだか拍子抜けしてしまった。 世の中のマフィアがみんなこんなだったら、ひょっとしたら恐れる必要はないのかもしれない。 ところが、ナンバーツーだかスリーだかと思しき金髪の彼は、少なくとも恐るるに足る常識人のようで、嘆かわしいと言わんばかりに、いまだがくぶるし続けているボスに怒鳴り声を上げた。 「……お前の降参グセはその頃から変わらんのか!」 ああ、やっぱりマフィアは恐いんだ。 怯えたような視線がさっとアーサーに集まるのを、アルフレッドは見逃さなかった。その視線を受けて、アーサーは慌てたように手を振る。 「ちっ、ちげぇよ! 俺はもうそんな世界からは足を洗ったんだからな!」 アーサーは散々「違う」を連呼していたが、しばらく彼の側には誰も近寄ろうとしなかった。このボス二人の態度は元より、来襲を知ってからのアーサーの雰囲気は異様であったから、「違う」の言に信憑性などない。 「お前……元ヤンっていうか、元ヤーさんだったんだな」 感心したようにフランシスがぽん、と肩を叩いて蹴りのお返しをもらったのを見てからは、余計に皆遠巻きになった。 アルフレッドは何を言ったものか、気まずい雰囲気のまま、アーサーと連れだって歩いていた。 今日はなんだかんだで臨時休業ということになった。突然の休日に皆は狂喜乱舞して、「せっかくだから皆で飲みに行きましょうよ!」と誰かが提案し、わいのわいのと連れだって行ってしまった。店の皆で飲みに行くことなど、ビル全体の休業日で営業ができない日くらいのものだから、皆がはしゃぐ気持ちは分かる。 ただこのところ、色々なことがありすぎて、頭も体も疲れ切っていたアルフレッドは、静かに休むことにした。 「なんだか拍子抜けしちゃったな。あっさり解決しすぎて」 ぽつりと、すっかり日の落ちた空に向けて呟く。 「よかっただろ。何事もなくて」 「そうだね。……君のお蔭だね」 「なっ、だから、あの、俺は……」 「いいよ。俺は君のこと恐いなんて思わない。俺は君が優しくて、ちょっと間抜けで、っていうかアホで鈍感でバカで、それでもってものすごくエロくて、で、すごく働き者で俺想いってことを、知ってるからさ」 「……それ、褒めてんのか?」 「君が大好きだってことさ」 照れ臭くて、すぐに顔を背けた。わざと茶化すように鼻歌を歌って、昇りかけた月を見やる。 いい夜だ。ああ本当にいい夜だ。 「でも、俺は怒ってるんだぞ」 大通りから、人気のない住宅街の路地に入ったのをいいことに、アルフレッドはぎゅっとアーサーの片手を握りしめた。 「何にだよ?」 見上げてくる顔の何と愛おしいことか。この人が過去に何をして、どんな風に振る舞っていても構わない。そんなこと構わないと言ってしまえるほどに、今がとても幸せだ。――ただ。 「俺は、君のこと何にも知らないなぁと思って」 アーサーは俯く。隠し事をしていた負い目があるのだろう。無論、アルフレッドの方にも責める気持ちがあるのだから当然、反省してもらわなくては困る。 「君が教えてくれないのがいけないんだぞ、君はどうしてそうやって俺をのけ者にしようとするの?」 「そういうわけ、じゃ……。過去のことは俺だって忘れたいんだよ! みっともないだろ!」 アーサーが逆切れにも近い態度を取り始めたところで、アルフレッドは話の主導権を取り戻すべく、立ち止まってぐっとアーサーの両肩を掴んだ。 びくりと見上げた瞳に、切羽詰まった自身の顔が映っていて、なんとも滑稽だった。 「約束してよ。これから俺に隠し事は一切しない。何でも教えて? 君のこと」 必死で取り繕っても、余裕のない声が出る。 「え……」 「できないの?」 ムッとしたのが伝わったのだろう。慌てたようにアーサーは顔を上げた。 「で、できる。約束する!」 「本当?」 「……お、おう」 ちゃんとアルフレッドの目を見て「約束する」と強い口調で言ってくれたのなら、アルフレッドはアーサーの唇にキスを落とそうと思っていた。けれどアーサーはどこか自信なさげに俯いたままで、仕方なくアルフレッドは彼をぎゅっと抱きしめた。 ――どこにも行かないで、俺のアーサー。 (2008/4/29)
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