アルフレッドがアーサーを掻き抱いて幸せそうに眠っていた同時刻、某所ではそんな甘い雰囲気とは程遠い、殺伐とした会合が持たれていた――。
「そーれーでー、おとなしくもてなされちゃって帰って来ちゃったってのか?」
 バンッ、と乱暴に、テーブルに乗せられた足をちらりと見て眉をひそめながら、ローデリヒはエリザベータが淹れてくれたばかりの紅茶に口をつけた。
「そういうことになりますね」
 対するギルベルトはといえば、エリザベータが配って回っていたカップの数が、明らかに足りないことに今気づいたとでも言うように、空になった彼女の手の上の盆を見ながら、動揺を押し隠すように首を振った。
「バカか! これだからこのお坊ちゃんはよォ!」
「ちょっとギルベルト、ローデリヒさんのこと悪く言ったら殺すわよ!」
 空いたお盆を振り上げて見せたエリザベータに、ギルベルトは既に涙目である。なぜ俺の分はないのか、そんな抗議すら喉につかえて出てこない。
「とてもいい人たちでしたよ、ルートヴィッヒ。そっとしておいてあげてもよいのではないですか?」
 しかも、暴言を連ねるギルベルトを完全に無視して、ローデリヒは眉根をこれでもかと寄せて押し黙っていたルートヴィッヒに笑みを向けたのだから、なおさらギルベルトは心中穏やかでない。
「そうは言っても、あそこの立地条件を見逃せば、ヴァルガスファミリーの名折れだろう。なあ、フェリシアーノ?」
「ヴェー? うん、どうでもいいよ」
 ピザを咀嚼しながら振り返ったボスの一人に、ヴァルガスファミリーの名参謀、ルートヴィッヒはいつものことながら胃が痛くなるのを感じた。
「その店はパスタ食えんのか?」
 弟のフォローをしようというのか、ボスのもう一人ロヴィーノが発した言葉も、これまた頼りなかった。
「あーッ、もーッ! お前ら、俺らが超超超尊敬する先代の孫じゃなかったら、とっくに放り出してるからなッ!」
 フェリシアーノ、ロヴィーノを交互に指さしながら、がなり立てるギルベルトの言は、少し前まではルートヴィッヒも共有する感情であったのだが。今では、ギルベルトでさえ本心ではそう思っていないということを知っている。
「どうする。フェリシアーノ」
「えー、俺が決めんの?」
「お前がボスだろう」
 困ったようにしばらく考え込んだフェリシアーノは、よし、とやたら自信に満ちた顔で頷いた。
「うーん、マフィアとしてはやっぱりさ、逆らう者は皆殺しだぜこの野郎! っていう方がかっこいいよね!」
「知らん……」
 案の定な短絡思考に、ため息をつくことしかできないとしても。
「よーし決定! 逆らう奴は容赦しないぜひゃっほー!」
 ルートヴィッヒ始めこのファミリーの面々は、少々ヘタレなこのボスを、決して嫌ってはいないのであった。
「……あいつは、また何かロクでもない映画でも見たのか?」
「そのようですね」


 午後五時、日も暮れかけ、店員たちが揃い始めようかという時刻。開店の準備のために箒を掴んで外に出たトーリスが血相を変えて駆け戻ってきたのは、ちょうどその頃だった。
「大変ですフランシスさんっ!」
「おーう、どうしたトーリス」 
「店の外に、黒塗りの車が何十台も……!」
 レジの釣銭準備金を数えていたフランシスは、はらりと紙幣を手から滑らせる。
「……え? 何それやばくない?」
 トーリスの報告が聞こえたのだろう、店中が騒然とし出す。そもそもこのあたり一帯が、イタリアの有名なマフィアに狙われているというのは周知の事実であり、これまでこの店がアーサーの啖呵ごときで見逃されてきたのがおかしいというものだ、というのは誰もが抱いていた危機感であった。
 ドアの隙間からちらりと外を窺い見たアルフレッドは、慌ててドアを閉めた。まだ制服に着替えてなくてよかった。あんな格好では避難もままならない。
「くっそ、ふざけやがって……」
 息まいて出て行こうとしたアーサーを、すかさずフランシス、イヴァンの二人が止める。
「ちょ、ちょ、ちょ待てってアーサー!」
「だめだよ、アーサーくん! 君一人でどうにかなる数じゃないでしょ? 話をややこしくしないでくれる?」
「じゃあどうすんだよ! 警察呼ぶか警察! 営業妨害だ!」
 店の前にあんなのがずらりと集まっていたのでは確かに商売どころではないだろう。お隣の混乱ぶりも目に見えるようである。
「さすがにあれだけいれば、通報するまでもなく警察が来てくれると思うけど……どのみち、警察と彼らの大乱闘になって、今日は商売どころじゃないね。店に入られないように、バリケードでも作っておいた方がいいかもしれないよ」
「……それに、耀さんの話だと、このあたりの警察はとっくにあのファミリーの支配下らしいですよ」
 菊がぽろりと爆弾を落としたので、店内には悲壮な空気が流れた。
「一族総出でお出ましって感じだね。総力入れていただいて光栄だよ」
「ど、どうするんだい、今のうちに裏口から……」
 イヴァンの諦め切った態度に、余計に不安を煽られたアルフレッドは、あたふたとヒーローらしからぬ提案をしてみた。するとすかさずそこにアーサーの雷が落ちる。
「テメェ、店を捨てんのかよ! 俺たちがちゃんと守ってなきゃ、奴らにめちゃくちゃにされるぞ!」
「命の方が大事でしょ、今は」
 至極常識的な発言をして裏口に向かいかけた、頼れるフランシスが、慌てて裏口の鍵を閉めるのが見えた時点で、全員の恐怖は頂点に達した。
「当然裏口にも人がいっぱいいました!」
「どうするんだよもう……っ!」
「もう降服するしかないんじゃない? 彼らもそれしか考えてない訳でしょ。実際暴力を振るうのなんか面倒だろうから、さっさと降参してあげようか」
 にこ、とイヴァンがとんでもないことを言った。いや、今考えられる選択肢としては、あながちとんでもなくもない。
「まあ、経営者が変わっても、店が存続できるなら、ね……?」
 菊がアーサーを宥めるように微笑んだ。今一番危険なのは血気盛んなアーサーが暴走することだ、と彼は読んだらしい。
 くそ、と不承不承ながらも承諾しかけたアーサーに、誰もが胸を撫で下ろしかけたその時、なんともタイミング悪く、ドア越しに拡声器を通したどことなく間抜けな声が聞こえてきた。
『中の者に告ぐ! ただいまより、この店は俺たちヴァルガスファミリーの傘下に入ったー! 大人しく言うことを聞けば、痛いことしないぞー!』
「なんだあの頭の悪そうな声、腹立つな……っ! あんな奴らに大人しく収益吸い取られたり、経営に口出されたりしてたまるかよっ!」
 それでついに堪忍袋の緒が切れてしまったらしいアーサーは、調理場から包丁、そしてアルミ製のお盆を持ってくると――即席の剣と楯というわけだ――フランシスの制止も振り切って、がちゃりと入口のドアを開けた。――開けてしまった。
 ――ああ。
 誰もが神に祈る気持ちで、自身に考えられる最善の場所へ逃げ込んだ。
「おい、テメェら多勢に無勢で寄ってたかって、あんま調子に乗ってると……!」
 ドアの外にはずらりと並んだ黒の高級車。そのうち店の入り口どまん前に止まっていた車の前には、高そうな赤のシャツに黒のスーツを着こなした、いかにもイタリア人男性らしい二人が立っていた。あれが噂のヴァルガス兄弟だろう。
 その二人が、なんとも予想外な行動に出た。
 二人のうち気の強そうな一人は、出てきたアーサーを見るなり「げっ」と目を丸くしたし、もう一人、いささか顔立ちの優しい方は、一気に顔面蒼白になる。
「あーっ、あ、あ、あ、アーサーッ!」
 どういうことか。恐れていた事態が起こらない。アルフレッドを始め、店内でテーブルの陰に隠れるようにして成り行きを見守っていた面々は、恐る恐る首を伸ばして状況を窺った。
 門戸を開放してしまって、そこを守る衛兵は包丁片手のアーサーただ一人。銃を持った暴力のプロフェッショナルが何十人と控えているというのに、誰一人突入してこない。
「テメェ……ロヴィーノッ、フェリシアーノじゃねえか!」
 聞いていた誰もが泣きそうになるほどの怒声を上げたのはアーサーで、対するマフィアのボス二人組は、なぜだか一斉に、土下座を始めている。
「うわぁぁん怖いよ殴らないでぇえ!」
「もうしませんから許して下さいアーサー様!」
 ボス二人が許しを請い始めてしまったのでは部下も動きようがない。好奇心に勝てなくなって、店員たちがのそのそテーブルの下から這い出し、様子を見に入り口付近に固まり出した中、ぽつりとフランシスが、全員の気持ちを代弁してくれた。
「あれ……どういうこと?」


















(2008/4/26)



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