「なぁ、俺……」
 本当に抱きしめてしまえば、アーサーは困ったような声を出した。
 だめなんだ、俺は、とかなんとかごちゃごちゃ言っている口を塞ぎたいところをものすごく我慢して、アルフレッドはようやく喉の奥から声を絞り出す。
「俺のことが好きかそうじゃないか、それだけ教えてよ。それだけでいい」
 ほかはすべて、アルフレッドが我慢すればいい事柄なのだろう。努力しようと思う、努力しようと、思える。
「俺は……」
 即答されなかったことに若干、傷ついた。答えを聞きたくないという弱音がアルフレッドの肩を震わせる。自分勝手に先走って傷つくことへの恐れを、アルフレッドはアーサーと出会って、初めて感じている。
 どうでもよかったはずなのに、自分のしたいように生きていれば、それで。それでアルフレッドは正義を実現できる、はずだったのに。
「……俺で、いいのか?」
 逆に訊き返されてしまった。どうして今になって再確認されるのだろう。もう十分じゃないか、こんなに何度も言っているのに、求めているのに。
「君がいいんだ」
「そうか……今はそれだけで、嬉しい」
 そうじゃないだろう、今気持ちを問うたのはこっちの方だぞ、とアルフレッドは抗議の意を込めて、アーサーを抱く腕に力を込めた。
「今後何があっても、お前に軽蔑されても、俺は今のことだけで、もう十分だ」
 不安なのだ、きっと。彼が隠していることが何かはわからないが、その気持ちを、わからないながらに理解してあげよう、あげなければならない。
 なんだかこんなの矛盾だらけだ。絶対におかしい。
 ――俺らしくない。
「君は俺のこと好きかい?」
 食い下がった。大人げないとは思う。でも今欲しいのは、ちっぽけなプライドを満たして我慢することよりも、愛されているという確固たる自信だった。
「……好き」
 なんでそこで間を空けるんだと思いつつ、ぽそりと、憚るように紡がれた一言だけで、単純に幸せになれる自分が笑える。いや、笑いごとじゃないのだ、本当は。
 やわらかくキスを交わしたら、お互い我慢できなくなって、いつの間にかソファに沈んでいた。
 何日かぶりの熱に、涙が出そうになった。


「お客様、ご注文はお決まりでしょうか」
 目の前に座っていたのは、上品なナリをした男女だった。
 この店の客層は実に様々だ。健康な男児の肉体美に惹かれてくる中年女性のグループが最も熱狂的なファンであることは確かだが、若い女性や若い男性だけのグループも、「おっかなびっくり」という顔で面白半分に訪れる。「そういう趣味」の男性だって来る。若いカップルや男女のグループが話のタネに盛り上がりに来るのも珍しくない。そこらのクラブで遊び飽きたらしい裕福な中年男性たちが新鮮さを求めてやって来て、結局いつもの宴会のように騒いでいくのもアリだ。「案外普通じゃーん」と言いながらリピーターになってくれる客も多いのだからありがたい。
 目の前のカップルは、風変りな趣向の店をネタにして騒ぐタイプにも見えなかったが、女の顔はどこか楽しげに輝いていた。
「そうですね、私はブレンドコーヒーで」
 穏やかな口調で男が言った。
「私はバニラアイスキャラメルソース添え」
 華やかな声と笑顔で女がメニューを指さす。
 以上でよろしいですか、と問えば、男は若干考えるようにして、答えの代りにこう問うた。
「こちらに……金髪の店員さんはいらっしゃいますか?」
「……たくさん」
 アルフレッドは豪快に顔をしかめたあと、慌てて澄まし顔を取り繕った。奇妙な客も多いが、そんな意味不明な質問をされたのは初めてだ。現に彼の目の前に立っているアルフレッド自身が「金髪の店員さん」であるのに、だ。
「申し訳ありません、言い方が悪かったですね、ええと……エリザベータ、あの子はなんて言ってましたっけ?」
 男は途方に暮れたように、女に救いを求めた。エリザベータと呼ばれた彼女は記憶を探るように天井を見やる。
「ええと、確か、すごく威勢がよくて、ガラが悪くて、まゆげが太かったって」
 あぁ、と盛大に顔を歪めてため息をつきたい気分になった。心当たりが、たった一人しか思い浮かばなかったから。
「アーサー・カークランドのことでしょうか」
「おそらくその方です。お顔を拝見したいのですが、今はどちらに?」
 申し訳ありませんが、当店では指名等のサービスは行っておりませんので、と冷たく神経質にあしらうこともできたが、あくまで「普通の喫茶店」を標榜するなら、店員の知り合いが遊びに来るというごくごく日常茶飯事のイベントにいちいち角を立てるのもおかしな話だろう。
「呼んで参りましょうか」
「ああ、いえ、いいんです。お仕事中なら……ただどんな方かと思って」
 友人が前にここに来たとき、大変お世話になったそうですから、と女は笑ったが、先ほどの「ガラが悪くて――」云々のくだりを聞くに「お世話になった」という表現にもよほどの含みがありそうだ。
 そもそも、アーサーが客の前で「威勢がよくてガラが悪い」という一面を見せたことなど片手の指で足りるほどだ。おかしいなと思いながら、もう一度男女の座っている方を振り返ろうとした矢先、客席からまた呼び止められた。
「ちょっとちょっと」
「……なんだ、君か」
「客に何あるかその態度」
 いつもの中華服はさすがにライバル店に出入りするにはふさわしくないと考えたのか、普段着の耀と、見覚えのない東洋人が同席してパフェをつついていた。あらかた、中華飯店の従業員だろう。
 耀はたまにこうして、この店に遊びに来る。
「さっき話してた奴ら、お前知ってるあるか」
「あのカップルのことかい? 知らないけど」
「あいつらはやべーあるよ」
「またかい、『やべー』って。……アーサーのこと訊かれたけど、何か関係あるのかな」
「……お宅の坊ちゃん、あのヴァルガスファミリー相手に相当な啖呵切ったそうじゃねーあるか」
「ああ、そういえばね……」
 そういえばそのときのアーサーの態度を巡っても、アルフレッドは激しい不安と自己嫌悪に陥ったものだった。嫌な思い出が胸をちくちく去来する。とりあえずそれはさておき。
「完っ全に目ェつけられてるあるよ」
「まぁ、そうだろうね……でも上の人たちがどうするつもりなのか、俺らは知らないし、あの人たちのことだから、何か対策立ててるんじゃないの?」
「お前らがもともとマフィアみたいなモンあるからな」
「失礼だな、そんなことしないぞ」
「お前は知らねーだけあるよ。五年前、あいつらがウチの店に何をしたのか……」
 うっうっ、と泣きマネを始めた耀に、ようやく無心にパフェにかじりついていた男が口を開いた。
「兄貴、泣かないでくださいよ」
「お前も辛かったあるな、ヨンス」
 ひし、と二人手を取り合った。何なんだいったい。
 面倒くさいから、お隣との間に起こった暗い過去については触れないことにしておく。
「で、あのカップルが何なんだい?」
 話を無理やり本題に戻すと、耀はあっさり泣きマネをやめた。
「あの男、ヴァルガスファミリーの経理を握ってる、大手銀行の一族のボンボンあるよ」
「えっ」
 まさかそう易々と、敵方が内部に入り込んできたことに驚愕して、アルフレッドはようやくお盆を取り落とすところだった。
 これは、ひょっとするとひょっとしなくても、アーサーはかなり危険な状態にあるのではないだろうか。
「マフィアにしては、ずいぶん品が良かったけど」
 少なくとも、激昂したアーサーよりは品が良かった。いや、むしろ比べるのも申し訳ないほどに完璧だった。洗練された上品さが身についていた。
「そりゃあそうあるよ、あそこの一族、エーデルシュタイン家は、マフィアとのつながりを盾に財と治安を保ってきた、昔ながらの由緒正しいお貴族様あるからな」
「君、闇事情に詳しいね」
「経営者として当然の知識ある」
 そうだろうか。
「あの女が誰だか知らねーあるが、あの二人だけで偵察に来たっていうなら、今日は別に暴力は振るわねーんじゃねーあるか?」
 ま、外に仲間連中が控えてれば別あるが、といらない脅しをかけて、耀は立ち上がった。口を拭きながら、連れも立ち上がる。
「そんな顔しなくても、そんな危なげな事態になったら、他の店も警察も動くと思うよろし、心配無用ある」
 フォローのように笑われても、どこからどこまでが冗談なのか、アルフレッドには判別できなかった。


















(2008/3/19)



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