華やかな夜の街。きらびやかなネオン、活気ある呼び声。
 一歩路地の裏に迷い込めば、そこには別の顔がある。薄暗く狭い、どことなく生臭い臭気の漂うそこは、中にいるものだけが知る現実だ。
 突き出た排気口を避けながら、足元まである黒いスタジャンに身を包んだアルフレッドは、そこでチャイナ服の男に出会った。
「げ」
 アルフレッドを認めた相手は、条件反射のように唸った。
「げ、ってなんだい。失礼だな」
 お互い手には、はち切れんばかりのゴミ袋を提げている。
「最近どうだい、景気は」
 顔をしかめて「まあまあある」と答えた耀は、隣の中華料理店「王中華飯店」のオーナー兼コックだった。
 小さな体躯で、ともすれば少年のように見える彼だったが、なかなかに商才溢れる逸材で、このあたりでは幅を利かせるそれなりの有名人である。のだが、アルフレッドにはいまいちピンと来なくて、敬意を払ったことは一度とてない。耀もアルフレッドとの体格差をそれなりに脅威に思っているらしく、それで文句を言われたこともなかった。そもそも、オーナー自らゴミ捨てに来るくらい人件費をケチる彼だから、合理主義なところはアルフレッドと気が合うのかもしれない。
「そっちこそ、最近めっきり不景気なんじゃねーあるか」
「俺はそんな詳しい経営事情は知らないよ。どうせ君なら、フランシスあたりから聞いてるんだろうけどね」
 アルフレッドには知らされない重要事項も、耀ほどの男なら握っているのだろう。場合によっては助言を求められていてもおかしくない。アルフレッドはようやく、そんな単純なことに気がついていた。
 すると耀は驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「……お前、ちょっと見ねーうちにずいぶん殊勝になったあるな」
「そりゃどうも」
 誉められたのが柄にもなく嬉しくて、アルフレッドは口元が緩むのを隠すのに必死だった。
「一つ持とうか?」
「槍でも降りそうあるな」
 言いながらちゃっかりゴミ袋を二つも押しつけてきた耀は、やはりやり手なのだろう、と思う。
「そういえば」
 すっかり身軽になった耀は腰をさすりながら、まるで星の動きでも読もうかというように天を仰いだ。
「最近このあたりに、やべーのが拠点を移してきたらしいあるよ」
「やべーの? なんだい?」
「お前もヴァルガス兄弟って、名前くらい聞いたことあるんじゃねーあるか」
「ああ、なんかイタリアの方のマフィアだよね」
 新聞か何かでちらほらと見た名前だった。「マフィア」だなんて、ずいぶんと遠い世界の存在で、現実味がない。
「なんでそんな暢気に聞いてるあるか! そのヴァルガス兄弟がこのあたりにも手を伸ばし始めたってことは、お前の店も例外じゃねーあるよ」
「そうなのかい?」
 よくわからないままに問えば、耀はがっくりと肩を落とす。
「まぁせいぜいお互い気をつけることあるな。特にそっちは派手あるから、すぐに目ぇつけられるあるよ」
 乱暴に缶の詰まったゴミ袋をゴミ集積場に投げ入れて、耀は軽やかに身を翻した。
 アルフレッドはといえば、あまりに不吉な予言を受けて少々気を悪くしつつ、押しつけられたゴミ袋ともども、どさりと山に積み上げた。
 まったく、こちらはアーサーの隠し事だけで頭がいっぱいだというのに、これ以上厄介事を増やさないでほしい。


 徐々に東の空が白んでいって、太陽の光が目に眩しい時間帯になった。
 一日分の疲れをため息とともに吐き出して、アルフレッドは不自然に手を握ったり開いたり、を繰り返していた。
 今日こそ、今日こそ訊いてやる。
 隣を歩くアーサーは、そんなアルフレッドの不審な様子にも気づかない。
 こんなふうに一緒に帰る――と思っているのはアーサーだけで、その後反対方向に帰らねばならないアルフレッドにしてみれば「送っていく」が正しいのだが――のもすっかり日常茶飯事と化した。アーサーが疲れているようならおやすみのキスをしてそのまま別れるが、あわよくば上がり込んで行ったりして。
 大丈夫、アルフレッドはもう、彼のプライベートに立ち入っても構わない立場にいるはずだ。
 自分を励まし、唇を舐めた。
「あ、のさ……」
「ん?」
「フランシスと、何話してたんだい?」
 何気なく首を巡らせたアーサーだが、アルフレッドの切迫した表情を見て、真剣な顔つきで聞いてくれた。
「え、ごめん、いつだ?」
「少し前……倉庫で」
 倉庫で、と言った瞬間、穏やかにアルフレッドの目を見つめていたアーサーの瞳は大きく見開かれ、顔はさっと青ざめたのがわかった。
「悪い、いつだかわからないな。……たいした話じゃなかったと思うぞ?」
 その、あからさまに誤魔化そうとする態度が許せなくて、つい責め立てるような口調になってしまう。
「たいした話でもなく、君はフランシスとあんな密室に二人きりで閉じこもるのかい?」
 揺れる翠の瞳。うっすらと涙が浮かんでいる。
 どうしてそこまで。
 泣くほど嫌なことなのか。そこまでアルフレッドには教えたくないのか。
「ほんとに、たいしたことじゃないんだって。お前が気にするようなことじゃ……」
「じゃあどうして教えてくれないのさ!」
 ほとんど怒鳴りつけるようになってしまった。
 どうしてどうして。
 アーサーの一番近くにありたいと、アーサーのすべてを知りたいと思う気持ちは間違いなのだろうか、単なる自惚れだったのだろうか。
 アーサーは何も言わない。無言のまま俯いているだけだ。
 もうだめだ、とアルフレッドは思った。アルフレッドがどんなにアーサーを求めても、アーサーには届かないのだ、たぶん、はじめから。
 ひどく惨めになって、静かに踵を返した。
「おい! どこ行くんだよ……」
「帰るんだよ」
「帰るって……」
「俺、こっちだから」
 アーサーは打ち棄てられたようにたたずんで、何も言わなかった。
 そうだ、どうせアーサーは、アルフレッドがどこに住んでいるかさえ、今まで気に留めたことがなかった。
 振り返るな振り返るなと必死に言い聞かせながら、一瞬視界に入ったアーサーの顔が、網膜に焼きついて離れなかった。
 どうしてあんな、泣きそうな顔をするんだ。
 ――泣きたいのはこっちだよ。


















(2008/3/5)



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