二人でアーサーの家に行ってシャワーを浴びて、改めてベッドの上で抱きしめてキスをして、「そういえば話って何だったんだい?」と訊けば、「もういい」とそっけない返事。 「でも、誤解がどうのって」 「なんでもないって」 「そうかい?」 こくり、と頷く。 そのときは気にも留めず、もう一度ベッドに押し倒したのだけれど。 アーサーの背中には、アルフレッドが思い切り吸いついた跡がくっきり残っていた。二度目のシャワーでもやたら気にかけて、鏡の前で無理な体勢を取っている。 ひねられた首が痛そうだ。 「どうせだから、いろんなとこに跡つけていいかい?」 「どうせだからって何だよバカ! もう二度とこんなことすんなよ! 明日店出れねぇじゃねぇかよバカぁ……」 まぁそうだろうな、と思う。 肝心なところのみを布一枚で覆っただけの制服では、到底隠し切れまい。どのような手段を取っても不自然だ。 「風邪ひいたことにでもすればいいよ。君は頑張りすぎなんだから、いい機会だ、ちょっと休みなよ」 にこり、と笑うと、何もわかってねぇな、とでも言いたげな溜め息をつかれた。 「俺がいなかったら、その分いろんな奴に迷惑がかかるだろ……」 アーサーの代わりは誰にでも務まるものではない。それはこの前よくわかった。けれど。 「そうやってプレッシャー背負いこんで、苦しくないの?」 お世辞にも逞しいとは言えないちっぽけな体。簡単に押し潰せてしまえそうな。 「少しは俺に頼ってよ。俺にできることだったら、何でも押しつけていい。そしたら君は、君にしかできないことだけ、してればいいし」 確かに、アルフレッドごときでは何の役にも立たないのだろう。けれど雑用ならお手のものだし、そんなことまでアーサーは気を回さなくていい。 「一人で全部やろうとしないで、俺を育てるとか」 そうだ、結局アルフレッドはこれが言いたかったのだ。 いつまでも、下っ端で甘んじているのが嫌だった。早くアーサーの隣に、アーサーに頼られるような人材になりたい。 「少しずつ教えてくれよ、その、新しい、仕事も……」 プライドの高いアルフレッドにとって、こんな申し出は屈辱以外の何ものでもない。けれど、本当にそう思うから。 アーサーはまじまじとアルフレッドの顔を見つめ、やがて本当に嬉しそうに笑った。 「バカ」 ぐしゃり、とアルフレッドの髪をかき混ぜて、くすくすと笑い続けている。 アーサーが取った行動はそれだけで、「わかった教えてやる」といった、何ら確証的な言質を取れなかったので、アルフレッドには少し不満が残ったけれど、言いたいことを言えただけ、マシなのかもしれなかった。 この頃アーサーが、上層部に叱責されることが多くなったように感じる。 「ホールが情けないから、店が回らないんじゃないか。アーサーくんは、いつになったら一人前になるのかな」 「ごめん……」 イヴァンの表情は変わらない。表面上は穏やかなままだ。 「せっかくの料理なのに、冷めたもの出されたら、かなわないわけだよね。こっちだって忙しいのに頑張って急いで出してるわけ。それをいつまでも放置してたら、僕たちの頑張りが無駄になっちゃうでしょ」 淡々と、それでいてどこかネチネチと、なんとも身に応える説教。 「君が中心になって指示出していかなきゃ。君が自分で走り回って働くのも勝手だけどね、それで周りが見えなくなっちゃったらダメなんだよ。君は新人じゃないんだから」 俯いたアーサーに、大きな溜め息がかけられる。 「仕事への集中力が、最近欠けてると思うんだけど」 それは確かに、そうなのかもしれない、とアルフレッドも思う。というか、アーサーの集中力を乱しているのは確実に自分だ。 仕事中でも、やはりあんな格好をした恋人にうろつかれては落ち着かないわけで、目が合ったり手が触れ合ったり、言葉を交わしたりするたびに、二人の間に何とも言えない空気が流れるのは止められない。 その度に少し顔を赤くして、視線をそらすアーサーがかわいくて、わざとやっていた感も否めないし。 職場恋愛はよくないと聞いたことがあるが、やはりアルフレッドとの関係は、有能なアーサーをダメにしてしまうものなのだろうか。 「アーサー」 アルフレッドが真剣に責任を感じ始めていた頃、イヴァンから解放されたばかりのアーサーを、フランシスが呼んだ。 フランシスからもお小言だろうか。 「ちょっとちょっと」 人目を憚るように声を落としてアーサーを手招くから、嫌でも気になってしまう。関心がそちらにないように装って、耳だけを欹てる。 「なんだよ」 いいから、とそのままフランシスはアーサーを備品を収納してある倉庫に引っ張っていった。 中は狭く空調もないし、あまり話すのに向いている場所ではないが、しかし。 ――内緒話には、これ以上なく適した場所だろう。 アルフレッドは恥も外聞もなく、固く閉ざされた倉庫の扉にぴったりと張りついた。 ボソボソ、と聞きにくくはあるが、かろうじて何を言っているのかはわかる。 「何か悩み事でもあるなら、お兄さんが聞くけど?」 「……悩み事なんかでグラついてるような、そんな俺でも残したいって思ってくれるのか?」 「少なくとも俺はな。ずっとお前と働いてたいよ」 優しげなフランシスの声に、アーサーは沈黙する。 「……言いにくいことか?」 「……言いにくい、っつーか、そもそもこれを他人に言っていいことなのかも、わかんねぇ……」 アーサーの声は深刻だった。照れているのとは明らかに違う。 てっきり、アルフレッドとの交際を打ち明けるか否かの問題なのだと思っていたアルフレッドは、アーサーの予想外の態度に心臓が跳ねるような心地だった。 だってこれは、あんなに何度も肌を重ねたのに、そのアルフレッドにも秘密にしているような、アルフレッドとの交際など比ではないような、重大な悩み事があったということではないか。 「俺が撒いた種だし、俺が自分でなんとかしなきゃって思うんだけど、でも……」 唐突に、自分がものすごく惨めな気がした。 アーサーを手に入れて、浮かれて。 でもやっぱり、アーサーの関心はアルフレッドと同じような低いレベルにはなかった。彼の頭はもっと他のことでいっぱいだったのに、彼はアルフレッドに、その片鱗さえ告げてくれない。 「俺だって、お前の問題に首つっこんで一肌脱いでやろーなんて慈悲の心は持ち合わせてないけどよ。ただ、言うだけでラクになることも、あると思うぞ?」 悔しくて涙が出そうだ。 恋人だと図に乗っていたのはアルフレッドだけで、彼にとってはセフレ程度の、ほんの火遊びだったのかもしれない。 「……お前、聞いたら絶対、引くぞ? 引くっつーか、俺でも、なんでこんな事態を招いたのか、本当に……」 アーサーがぐらついて仕事に支障をきたしている。その原因が自分ならそれでいいと、アルフレッドは思っていたらしい。今考えれば、なんとも自分勝手でひとりよがりな感情。またそんな浅いところに落ち込んでいる。いつだってアルフレッドは調子に乗って、同じ過ちを繰り返す。 「お前がばかなのは百も承知だよ、心配すんな」 ばかじゃないのか。 アーサーにとってはアルフレッドとの一連の出来事など、大したことではなかったのに。 アーサーの心を占める「悩み事」とはいったい何なのか。アルフレッドは親の敵を見るような心地で、ぐっと拳を握りしめ、続く会話に耳を澄ませた。 「んだよ! バカにすんなよ! ……いや、本当に、俺がバカだったんだけどさ……」 「はいはい、んで、何なの?」 「……ホントに聞くのか?」 「ここまで来といて焦らすのかお前は」 「……引くなよ?」 「わかったわかった、引かない」 アーサーの逡巡をそのまま表すようなしばしの沈黙のあと、アーサーは語り始めた。 (2008/2/9)
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