※事後の生々しい表現が苦手な方は、冒頭を飛ばしてこちらからお読みください。
















 ようやく、本能にも似た獰猛な衝動が息をひそめた頃、緩慢な動作でずるりと自身を抜けば、そこは色々な液体が混じり合って、ぐちゃぐちゃだったが、確かに血液のような赤が混じっていることも見て取れた。
 アーサーは顔を覆って、ぐったりと動かないから、心配になってしばらく背を撫でて、声をかけ続けるのだけれど、それでも何の反応もない。
「アーサー? 大丈夫?」
 人形のようにアーサーが動かない、それはすごく長い時間のようだったけれど、実際には5分程度だったのかもしれない。
「シャワー浴びるかい?」
 ようやく、ぽそり、とか細い声で反応が返ってきた。
「……俺はいい」
「そう? 大丈夫?」
 こくり、と頷くものの、どんな顔をしているのかは見えない。
 途方に暮れて、とにかくアルフレッドはソファから降りた。膝辺りまで下がったズボンを下着もろとも引き上げて、気づけば汗だくだった額を拭う。
「じゃあ俺、シャワー借りてもいいかい?」
 やはり、顔を覆ったアーサーは、こくり、と頷くだけ。
 照れているのだろうか、と暢気なことを考えて、遠慮なくシャワールームへ向かった。
 そこはアルフレッドのものに比べれば、遥かに広かったしきれいだったけれど、基本的な操作はどこも同じだ。乱暴に衣服を廊下に散ばしたまま、温かい水流で汗やら何やらを流す。
 脱衣所を適当に漁ると、きれいに折りたたまれたバスタオルを発見できたので、それで水滴を拭い、とりあえず下半身だけ衣服を身につけてリビングに戻ると、アーサーは身を起こしていて、後処理を試みたのか、床にはピンク色に汚れたティッシュが散乱していた。
 アーサーはこちらに背を向けていたけれど、胸元で留まっていた衣服はしっかりと腹まで下ろされて、しわしわになったそのセーターと、ぐしゃぐしゃになった後ろ髪が、行為を思い起こさせて、アルフレッドは浅ましくも再び、堪らない気分になった。
「アーサー」
 声をかければ、背中はびくりと震えて、慌てたようにズボンを引き上げる。
「シャワー浴びるかい?」
 何気なく問いかけたこれには返答せず、ソファから降りようとした瞬間、アーサーはがくんとバランスを崩す。そのまま床に座り込んでしまったので、アルフレッドはびっくりした。
「……っ、立てな……っ」
 ソファの淵につかまりながら、何度も腰を上げようとするのだけれど、びくびくと腕を震わせるだけで、ついには途方に暮れたような顔をこちらに向けた。その顔は涙でぼろぼろに濡れていて、アルフレッドは予想だにしなかったその表情に衝撃を受けた。
「アーサー」
 背中からぎゅっと抱きしめると、アーサーは逃れようとするかのように、背中を丸めて嗚咽を零した。
「……っう……」
「痛いの?」
「……だい、じょうぶ、だから……、もう、お前は帰れ……」
「だって」
「いいから」
 アーサーが帰れというのだから、そうした方がいいのだろう。何の考えもなしに、素直にそう思った――そう思いこむ方が楽だと知っていたアルフレッドは、申し訳程度に床のティッシュを拾い上げてゴミ箱に捨てると、「じゃあ、また明日ね」とアーサーの背中に声をかけた。
「ああ……また、明日」
 肩越しに振り返って、アーサーはにこりと笑った。その顔には依然として辛そうな色が浮かんでいたが、アルフレッドはそれに、気づかないフリをして、笑顔を返した。
 部屋の隅に置いた荷物を取って、廊下に落としたシャツを羽織ると、汗でぐっしょり濡れたそれは、じめっとしていて気持ちが悪かった。



 帰り道はずっと、アーサーのことを考えた。
 恥ずかしげに視線を彷徨わせて、アルフレッドへの想いを告げたときの顔や、押し倒したときのびっくりした顔、体中愛撫したときの、恥ずかしそうな、気持ち良さそうな顔、最中の、辛そうな顔。
 行為の後の、まったく予想だにしていなかった不自然な挙動も、その流れから考えれば、すべてわかるような気がした。
 ――俺のことずっと好きだったんだもんな、セックスして辛かったなんて、言いたくないよな……。
 それが年上の矜持ってやつなのかもしれない。
 そこまでプライドの高い男が、これまでずっと、アルフレッドへの想いをひた隠しにしてきたのだと思うと、顔がにやけるのを止めることができなかった。
 ついさっき、この手に抱いたのだ、あの白い滑らかな肢体を。
 もっとキスしてあげればよかった、とまで思いながら、アルフレッドは寝るまでの間ずっと、アーサーとの交合を反芻し、幸せな休日を過ごした。


 翌日夕方。
 店に近づくにつれ、胸の鼓動も速くなるのがわかる。
 柄にもなく緊張している。関係を持った今、アーサーとどんな顔で会えばいいのだろうか。
「おはよー……」
 控え室のドアを開けると、パソコンの前にはフランシス、その後ろには、すでに制服に着替えたアーサーが、腕組みをして立っていた。
 いつも通りの光景。
 なのに今日は、過剰なほどに露出されたアーサーの体にどぎまぎしてしまう。視線は自然と、吸いつけられるように、ふっくらとした臀部に向かった。つい何十時間か前に、アルフレッドを銜え込んだそこは、まったくそんな痕跡を見せないので、余計に想像力が疼くのだった。
 ついまじまじと見つめていたら、アーサーはさっと体ごとこちらを向いて、双丘に注がれていた厭らしい視線を断ち切るように笑った。
「おはよう」
 昨日の行為を意識するその態度がかわいくて、アルフレッドはとても誇らしい気持ちになった。夢じゃなかった。当たり前だけれど。
 フランシスは、アルフレッドの登場にも関わらず、黙々と仕事を続けていたので、アルフレッドは服を脱ぎながら、アーサーにだけ聞こえるように、「大丈夫だったかい?」と殊更優しい声をかけた。
 行為の直後は、辛そうだったアーサー。
 アーサーはそわそわと目線を彷徨わせただけで、これには答えなかった。
「あ、そうだ、お前メガネ忘れてったろ……」
 逃げるように――それでもアルフレッドに尻を向けないよう不自然に後退りながら――アーサーは自身の鞄があるロッカーへと向かった。
 彼が鞄を漁っているあいだ、後ろからそっと忍び寄ってぎゅっと抱き締めたかったのだけれど、生憎とここは事務所兼控え室で、フランシスを始め何人もの同僚がいたから、ぐっと堪えて、アーサーがメガネを捜し当てるのを待つ。
「ほら、これ」
 メガネケースなど持っていないのだろうアーサーは、それをきれいにタオルで巻いて、ここまで持ってきていた。
「ありがとう」
 受け取る際に、わざと手を触れ合わせれば、火傷でもしたかのようにぴゃっと腕を引っ込める。はらり、と床に落ちたタオルを拾い上げ、右手を握り締めるようにして手渡せば、今度は顔を真っ赤にして、なすがままになっていた。
 メガネを置いてきてしまったのは不可抗力だったが――そもそもそこまで目は悪くないので、気づくのが遅れたのだ――、忘れてよかったと心底思った。
「あ、あのさ……お前……」
「ん?」
 レンズの汚れを拭って、アーサーが言葉を継ぐのを待つ。
 しかし彼は、そわそわと辺りを見回して、「やっぱ、後でにする」と言うやいなや、さっさと事務所を出ていってしまったのだった。しかもご丁寧に、アルフレッドの方を向いたまま――つまり、よほど尻を見られたくないらしい。「お前も早く着替えてこいよ」なんて、ぎこちなく笑いながら。
 かわいいなぁ、とにやにやしていたら、トーリスに「何かいいことでもあったんですか?」と言い当てられてしまった。


















(2008/1/28)



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