先日会った折、リトアニアがもたらした「アメリカさんの様子がおかしいんです、相当参ってるような」という報を受けて、イギリスは本格的にアメリカに対する諜報活動を開始することにした。
 何を思い悩んでいるのか知らないが、ああいう、普段は自信満々で反省を知らない奴ほど、思い詰めると厄介なものだ。
 フランスに言えば、もう何度も聞いた「そっとしておいてやれ」などと意味のわからない返答で済まされるだけ。
 これは「そっとしておいてやる」などというごくごく日常的で個人的な話ではなくて、もっと危機迫った外交上の大問題に発展するかもしれない問題なのだ。アメリカはそれだけの国だ。災いの種は早めに潰しておくに限る。どうもフランスはそうしたところが甘いというか呑気というか、先手先手に回って自分有利に外交条件を整えるという手間を厭う。昔からのことではあり、もうあれは直らないのかもしれない。
 そんな訳で、フランスにも告げず単身アメリカに降り立ったイギリスは、サングラスに襟の高いコートで顔を隠し、ワシントンD.C.の街をあちこち調べながら歩く。季節柄コートというのは早すぎるきらいもあり、特別目立つというほどでもないが、やはり暑くてたまらなかった。
「去年のクリスマスあたりからかなぁ。急にイギリスの取引先が、輸入元をフランスに切り替えるって言い出して、もう商売あがったりさ」
「絶対うちの製品の方が安いのにねぇ」
「それにあそこは先祖代々うちの会社と取引してくれてたんだよ。こちらに落ち度があったわけでもないのに、理由もなくこういうことされちゃ、ねぇ?」
 これから郊外に戻るのだという二人の男性とたまたま駅前のコーヒーショップでおしゃべりしていると――イギリスが注文したのはメニューの中でも数少ない紅茶だったのだが――、イギリスの英語から「ひょっとしてイギリスの人かい?」と、ここまで話が発展したのだった。
「そうか……それは大変だな……。他に何か変わったことはないか? 税が増えたとか、軍の募集が増えたとか、基地が増えるって話とか……」
「おっ、お兄さんなんだか映画のスパイみたいだねぇ」
「いや、そういうわけじゃねぇんだけど……」
「さあ。特には聞かないよ。今のアメリカはどっちかっていったら気分が落ち込み気味でさ、これ以上どこかに攻めていこうなんて元気は到底ないと俺は思うね。なんとなくだけど」
「そうそう。久々に軍事費予算が下がったって聞いたよ」
「へぇ……そうか、参考になった。ありがとう」
 コーヒーショップを出て二人と別れる。
 どうやら今の話を聞くに、アメリカが軍事的に何かを企んでいるという可能性は低そうだ。
「となれば経済か……?」
 どちらにしても、しゃべって興奮したために、ずいぶんと暑い。
 少し気が弛んで、まぁコートくらい脱いでもいいか、という気になった。
 コートを腕に抱えて、次はニューヨークにでも行ってみるかと首を巡らせた瞬間、仕事帰りらしい格好のアメリカと目が合った。
「あ……」
 しまった。こんなサングラス一つで顔を隠せるとは到底思わないし、かえって怪しまれる。
 イギリスはサッとサングラスをポケットにしまうと、直立不動でこちらを凝視したまま動かないアメリカに向かって、にこやかな顔を作ってみせた。
「……よぉ! 今ちょうどお前のところ行こうと思ってな……」
 まさか「スパイしてました」とも言えないイギリスは、とりあえず用意していた言い訳を吐く。
「……なんで?」
 しかし予想外にアメリカは疑い深げな視線を送ってきた。
 そこまでおかしな言い訳であるとも思えないのに、ずいぶんな言い草ではないか。
「なんでってお前、元宗主国に対してちょっと冷たいぞ!」
 慌てて取り繕えば、アメリカは目線を下げたまま、感情をうかがわせない声音で言った。
「用がないんだったら……帰ってくれるかな」
「え……」
 まさかふらっと立ち寄ってお茶することも拒まれるほど嫌われているとは思わなかった。世界大戦以来、何度もともに戦った仲だけに、少しショックだ。
「……わかったよ、何だい、その顔」
 しばらく呆然としていると、アメリカが歩き出しながら呆れたように言って、イギリスは我に返った。
 そんなにひどい顔をしていただろうか、と恥じ入る。
 今まで友達がいないことは自覚していたが、アメリカに対してはどうしてか気安い自分がいて、孤独をやり過ごす術を咄嗟に思い出せなかっただけなのに。
「い、いいのか?」
「嫌なら帰ってよ」
 慌ててその背を追えば、振り向きもせずに返された。
「い、行く、行くって!」
 アメリカの家に向かう途中、アメリカは何も言わなかった。仕方なくイギリスが色々話題を振るのだが、すべて「ふーん」とか「別に」とかで終えられて、じきにネタも尽きてくる。
 アメリカとは普段、どんな話をしていただろうか。
 気まずい沈黙が流れる中、アメリカの家まで辿り着いてしまった。
「言っとくけどうち、コーヒーしかないから」
「え? お前紅茶嫌いだっけ?」
 確かアメリカにもイギリスは紅茶を輸出している気がするし、先程のコーヒーショップにも紅茶はあった。
 しかしアメリカはムスッとして、イギリスの質問を黙殺した。
「今度紅茶持ってきてやろうか? あ、そうだ、お前なら――」
「紅茶紅茶ってさっきからうるさいな!」
 めげずにその話題を続けていると、アメリカはふいにイギリスの肩をすごい力で鷲掴み、ドンと壁に押しつけた。
 咄嗟のことで抵抗もできず、思い切り後頭部を打ちつけた。
「痛……っ」
「ねぇ、それは俺をバカにしてるの?」
 ひやり、と氷が背筋を滑り落ちていくようだった。
 こんなにも恐い顔をしたアメリカを見るのは初めてで。
 何か自分は琴線に触れることをしたのだろうか。あるいは、先程の諜報活動が、実はとっくにバレていたのだろうか。
「俺の気持ちさんざん弄んで、まだ嘲笑い足りないのかい……?」
 しかしアメリカはそんな訳のわからないことを痛切に言い放ったあと、ぐ、とイギリスの首元に手をかけた。
 ぶちぶちっと嫌な音がする。気づけば上着のボタンもシャツのボタンも弾け飛んでいた。
「な……!」
 何するんだ、と抗議をする間もなく、ネクタイを引き抜かれ放られる。
 ひやりとした外気に触れた首筋を、アメリカの手が滑っていった。
 いったい、なんのつもりなのだろう。
 緊張で体がこわばる中、アメリカの手が執拗にある一点を撫で続けていることに気づいた。次いでその指は胸板に移って、そこで初めて、アメリカが気にしているのが、鬱血の跡であることに気がついた。
 かあっと頭に血が上る。
 それはつい先日、フランスと夜を過ごした折に、ついたものに違いなかった。
 イギリスは唐突に、自身の置かれた状況を理解した。
 アメリカの家に二人きり。壁に押しつけられ、上半身をあらわにされた自分。
 アメリカが「そういう対象」として自分を見ていることに愕然として、思わず両手で力一杯アメリカを押し返した。
 衣服を掻き合わせながら、慌てて踵を返す。
「か……っ、帰る!」
 しかし難なくその腕を捉えられて、背後からのしかかられ、倒れこんでしまった。
「これ、フランスにつけられたの……?」
 もともとの体格差もあるが、上に乗っているアメリカと、乗られている下のイギリスとでは、あきらかに形勢が違いすぎる。逃げようとじたばたあがくイギリスを尻目に、アメリカはまだ、跡を気にしているのだった。
 その目に、イギリスは尋常ならざる感情を見出して、どうしようもなく怖くなる。
「お前……おかしいよ……、離せよ!」
 親の仇を見るような顔で、イギリスの首筋を見つめるアメリカ。
 怖い。
「おかしい? 好きでもない男とホイホイ寝れるくせに、今更なんじゃないの?」
「なんの話だよ……っ」
 そんな不名誉なことを言われる覚えはない。
 それでもやはりアメリカの拘束は振りほどけなくて、答えの代わりに、乱暴に口づけられた。
 抵抗虚しくぐいぐいと舌は口内を犯してきて、イギリスはもはや自力で逃げ出すことは不可能だと悟る。ただ助けを求めることしか、できなかった。
「嫌だって、やめろよ、嫌だ! 嫌だ、助けてフランス……!」
 その瞬間すごい力で叩かれた頬は真っ赤に腫れ上がって、伝う涙は外気に触れてひやりと冷えた。


















(2007/12/22)

※こちらのすぐ続きとなる12.5話は裏にございます。
 飛ばしていただいてもストーリー展開上まったく支障ございませんので、18歳未満の方、直接的性描写が苦手な方はどうぞそのまま13話へお進みください。

 また、12.5話には強姦・暴力シーンがございますので、苦手な方は閲覧をご遠慮ください。



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