こちらから連絡すればよかったのかもしれない。けれどアメリカには、もう一度受話器を取る勇気はなかった、情けないことに。 それまでは、イギリスをフランスに奪われた以上、これよりもひどいことは起こらないのだと勝手に思っていた。 イギリスはアメリカにとって、いつもたった一つの存在だった。親としても兄としても伴侶としても、彼以外にいやしない。「考えられない」というレベルですらなくて、もっと根源的に、彼は替えのきかない存在だった。ピースが一つしかないパズルのようなもので、彼を失ったアメリカは、それを埋める手段をもたない。 そのピースが失われた、もう二度と埋められることのない穴、それは起こりうる最大の悲劇のはずだった。これ以上に不幸なことなどあるだろうか。 あるはずがない、と予定では断言できるはずだった。しかし、何かおかしなことが起きている、という、冷静に考えればバカげた不安が拭いきれないでいた。今再びイギリスと言葉を交わせば、更なる惨劇が始まるような、そんな漠然とした恐怖。 フランスに出し抜かれることなど、今更騒ぐようなことではなくて、歯に衣着せずに言わせてもらえば何百年も前からシミュレーション済みのイベントだった。胸を締めつけるような喪失の痛みも、色を失った日常も、待ってましたとは言わないが、それでもやはり想定内だった。 イギリスは泣くのだろうし、自分は強がるその裏で日本あたりにほんの少しだけ本音を零し、フランスは責任をすべて背負い込んだような顔で、後戻りできないようアメリカを、そして自らを牽制するのだろう。仕事でイギリスと顔を合わせることがあったなら、アメリカはイギリスの気負いなど気づかぬフリをして、イギリスも立派に勤めを果たす。時には涙を堪えるような憂い顔を覗かせて、次の瞬間にはそれを覆い隠すビジネスライクな鉄面皮で。そうしていつしか時がわだかまりも悲しみも緩和してくれて、また彼と笑い合ったり皮肉を言い合ったりする日々が来るだろう。そうなればまた、アメリカがフランスから奪い返してやればいい――。 すべて覚悟していたことだった。こんなことに今更心を砕くほど、自分はイギリスに対して暢気ではなかったつもりだ。 けれども、今再び胸の奥がざわめくような不安を覚えるのはどういうことか。 ――ここは決してどん底ではない。 まだ何か、自分が想定しえないような酷いことが、予想し切った路の上に大口を開けて待ち構えている――そんな胸騒ぎがして、イギリスに会うのが怖かった。このまま予定調和の悲壮の中で、しばし休憩していたかった。 しかし世間はいつまでも年始気分でいてはくれない。一週間もしないうちに、アメリカはイギリス、フランスと顔を合わせることになった。 「……やあ」 目が合ったフランスに、軽く挨拶をすれば、イギリスと連れ立って現れたことを詫びるように、静かな笑みを返される。 しかしここでまったく予想しえなかった妙な行動を取ったのはイギリスで、彼はまるでフランスとアメリカが挨拶を交わしたことに気づかなかったかのように、むしろアメリカが路傍の石かであるかのように、まったく歩調も変えず表情も変えず通り過ぎたのだ。そのあとをフランスがついて歩く。 アメリカの視線は思わずイギリスの背中を追った。 「イ、イギリス」 呼び止めるつもりなどなかった。未練を気取られずにイギリスと人前で会話ができるほど、心の傷は癒えていない。 にも関わらず呼び止めてしまったのは、声をかけられたイギリスが肩をこわばらせ、振り向くのに躊躇する様を――アメリカと同じ痛みの中にいるのを、確認せずにはいられなくなったからだった。 だが、イギリスはなんのためらいもなく振り向いた。 「なんだ? ああ、クリスマスは招待ありがとう」 どうしてそんな、まるで天気の話でもしているかのように。 「……いや。……元気かい?」 「ん? そうだな、お陰様で」 あっさり社交辞令を返して、そのまま行ってしまった。 しばらく呆然と立ち尽くしていた。それに気づいたのは、リトアニアに背を叩かれ我に返ったときだったけれども。 「大丈夫ですかアメリカさん。……真っ青ですよ?」 「いや……ちょっと寝不足、かな……」 「もう今日は帰られた方が……」 「いや、大丈夫、大丈夫だから」 なおも心配してくれるリトアニアに笑ってみせて、何に打ちのめされていたのかわからなくなった。 アメリカとイギリスの間柄を襲った出来事の重要性に比して、イギリスの態度がやけに平然として見えた――そう感じたのだけれど、今思えば些細な表情も声音もよく覚えていない。気のせいだったのかもしれない。 気のせいだったのかも、しれない。 そう思い込むことにして、アメリカは席についた。 (2007/12/16)
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