イギリスがフランスと付き合い始めた、という噂は、瞬く間に世界中に広まった。自分の時は、そんな風に人々の口には上らなかったものだった、とアメリカは苦々しく思った。
 何がそんなに目新しいものか、あんな前時代の遺物みたいな腐り切った関係が。
「今更『大事にする』なんて、笑わせるなよ。フランスがイギリスとどれだけ小競り合ってたかなんて、みんな知ってるだろ?」
「……の、ようですね」
 大丈夫ですか、と日本は背のびをしてアメリカの顔を覗き込んできた。
「全然元気だよ」
「文法おかしいですけど……ま、いいでしょう」
 日本はしょぼくれてむくれたアメリカに、ちらりとも同情の色を見せない。その視線はフランスのものと同じ「少しは反省しろ」とでも言いたげなものだった。
「どうしてみんな、俺を悪者にするのかな……」
 情けない声が出た。
「なまじ自覚があるから、あなたは厄介なんです」
 そういうのを「悪意」というのですよ、と日本は困ったように首を傾げた。
「自分でも、あれではいけないと、責められて当然の行為だとあなたは自覚していた。それなのにやめなかった。イギリスさんなら許してくれると思っていた。自分なら、許されると思っていた……それが私にもフランスさんにも許せないんです」
「日本はフランスの味方なのかい?」
「正直、フランスさんとならイギリスさんは心から幸せになれるのではないかと、ずっと思っていました」
 日本が天を仰ぐから、アメリカもつられて上向いた。深いブルーに、吸いこまれそうだと思った。
「あの方がどれだけ深くイギリスさんを想っていたか、まさか知らなかったわけではないのでしょう? 無邪気なフリをして、賢しいあなたなら」
「……だから、見えないフリをしてたんだ。俺なんかじゃ絶対に入り込めない絆があるのが怖かった。俺はこんなに奔放にしててもイギリスに愛されてるんだぞ、これは誰にも覆せないんだぞ、って……」
 それだけが俺の救いだった、とアメリカは深いため息をついた。妙に湿っぽいため息になったが、涙は出なかった。
 涙なら、とうに涸れ果ててしまったから。
「基本的に不器用なんですよね、あなたたちは」
 そしてあなたは子供です、と日本はぴしゃりと言った。自分よりはるかに若い外見をした日本にそういう物言いをされるのは癪だったが、事実アメリカは彼よりいくつも年下なのだ。
「俺は、何か悪いことをしたのかな」
 イギリスに捨てられなければならないような、何か。
「たくさんしているでしょう」
「……だったらそれを、俺はせめて、イギリスの口から聞きたかったな……」
 アメリカを捨ててフランスに乗り換えて、それだけならまだしも、それをフランスから言い含めさせるなんて、いい大人の男がすることじゃない。アメリカがいかに軽んじられていたのか、わかろうというものだ。結局、アメリカは一度だってイギリスに「一人の男」として認められたことなどなかったということだ。
「君は俺が悪者みたいに言うけど……。もともとイギリスは、俺の『ごっこ遊び』に付き合ってくれてただけで、もうそれに飽きちゃったってことだろう? 結局あの人は俺じゃダメなんだよね。もっと包容力があってさ、イギリスがずっとずっと昔から憧れてたような……。……俺なんか、イギリスにとっちゃいつまでも子供なんだ。今回のことで思い知ったよ! 遊ばれて傷ついたのは俺の方さ!」
 アメリカが捨て鉢な気分で言い放つと、日本は少し怒ったようだった。普段は常に困ったような顔をして表情に乏しい彼だから、それはとても珍しく映った。
「イギリスさんの気持ちが『遊び』だったと……『情け』だったとあなたは本当に思っているのですか?」
「そうとしか考えられないじゃないか! 君が俺だったら、イギリスの行動を許せるのかい!」
 アメリカの気持ちなど誰にもわからない。アメリカとイギリスがいかにして出逢い、関係を深め、絆を築いてきたのか、何も知らない他人には、絶対にわかるものか。思わず激昂すると、日本の瞳にわずかに同情の色が浮かぶ。
「……もう一度よく話し合われたらいかがですか、お二人で」
「あっちが俺なんかと話したくないって思ってるんだろ。じゃなきゃどうしてフランスを寄越すのさ」
「早合点して諦めてしまうのはよくありません。特にそれが、本当に大切なものの場合は」
 確かにそうかもしれない。いつだってアメリカは、イギリスに匹敵する歴史を持つ諸国に対して劣等感を抱いていて、普段はそれを意識していることなど気取らせないよう明るく奔放に振る舞っていたけれど、ふいに自信がなくなってこんなふうに卑屈になったところで、事態は何ら好転しないのだった。
「……イギリスと話すよ」
 直接彼から聞こう。もしもフランスが無理にイギリスをアメリカから引き離したのだとするなら、彼を救うヒーローはアメリカしかいないのだから。


 発信音が彼の番号を奏でる瞬間が、こんなにも緊張するものだと、アメリカは知らなかった。
 いやだいやだいやだと、何もかも放って逃げ出してしまいたい衝動を、ぐっとこらえる。
 十数コールのち、もう切ってしまおうかとアメリカが迷い始めた頃、ぷつりとコール音が途切れた。
『もしもし、アメリカ?』
 ひょっとしたらイギリスは、後ろめたくて電話に出られないのかもしれない、今も鳴り響く携帯電話を握り締めて、固唾を飲んでいるのかもしれない、そんなふうに考えていたアメリカは、イギリスのあまりにあっけらかんとした声音に愕然とした。
『何か用か? 悪いんだけど今ちょっと仕事が立て込んでてな、あとでこっちからかけ直す、いいか?』
 大した用じゃないなら切るぞ、とでも言いたげな早口でぞんざいな、少しも臆したり悪びれたりするところのない口調に、アメリカは言いようのない悲しみを覚えた。
「……うん、わかった……」
 言うや否や、ピ、と冷たい電子音がして、ツーツーと心を刺すような、単調な繰り返しが頭の中をぐるぐる回る。
 しばらくそのまま動けなかった。
 まったくバカみたいだ、とアメリカは一人ごちた。彼はフランスの策略に乗ったのでも、フランスに哀願されて泣く泣く身を引いたのでもない。
 自分の意志でアメリカを見限り、フランスを求めたのだ。アメリカに未練など微塵も残っていやしない。端から愛などそこには存在しなかったのだ。
 そう、突きつけられた気がした。
 一週間待っても、折り返し電話はかかってこなかった。


















(2007/12/15)



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