次にそれを思い出したのは、三日後に仕事の都合でアメリカに会ったときのことだった。 アメリカは、やたらと不機嫌だった。 「どうかしたのか?」 「別に。君には関係ないよ」 アメリカがこんな言い草をして目線を下げるとき、決まってイギリスが絡んでいるのだと、フランスは知っていた。 「イギリスとなんかあったのか? ノエルは一緒に過ごしたんだろ?」 妙な間が空いた。照れたりもったいぶったりしている様子ではない。 「もう、意味がわからないよ」 イライラとした声音でアメリカが言った。イギリスがまた余計なことでもしたのだろうかと、フランスは心配になる。 だとすれば今頃、イギリスは相当落ち込んでいるだろうから。 「当然俺だって、二人で過ごすって思ってたさ。でもパーティの片付けが終わって二人でディナーして、プレゼントを交換して――そしたらイギリスの奴、急に『帰る』って言うんだ」 「……お前、何プレゼントしたんだよ」 「そういうんじゃないよ、なんか、俺が機嫌を損ねたとかそういうんじゃなくて、まるで『そうするのが当たり前』みたいな態度なんだ。『今日は楽しいパーティをありがとう、個人的にディナーにまで誘ってくれて嬉しかった。じゃあ、また仕事でな。よい年末を!』だってさ! 普通クリスマスの夜に、恋人にそんなこと言って帰ろうとするかい?」 「恥ずかしかったんじゃねぇの。引き止めてほしかったとかさ」 「俺もそう思ったよ。何か含みがあるのかなと思ってじっと見つめてたら『何だ?』って本当に不思議そうに訊かれてさ……」 まさか、とフランスは思う。相手はイギリスであって、そんじょそこらの純情な生娘ではない。期待ならしていると本人だって言っていたではないか。あれは世界に名高いエロ大使だ。 そこまで考えて初めて、あの聖なる夜、我が身に降りかかった奇妙な出来事を思い出し、フランスはハッと息を呑む。 願いを叶えてやると言われ、自分は何を願ったのだったか。 イギリスの中から、アメリカを育てた記憶を――。 「何か心当たりでもあるのかい?」 アメリカの声に、我に返った。 まさか、まさか、そんなはずはあるまい。 「いや、……なんでも」 「……そう」 アメリカはしばらく躊躇うように目線を上下させていたが、やがて意を決したように口を開いた。 「ねぇ、君にこんなこと訊くのも癪なんだけど……こういうとき俺はどうすべきかな?」 「どうするって……」 「だから、あれから何か気まずくて、連絡取ってないんだ。向こうからも何も言ってこないし……。やっぱりこういうときって、電話とかした方がいいのかな」 「そりゃあお前、これからヌーベルアネだろうが! 訳わかんない遠慮してんなよ」 「ああ……ニューイヤーね……」 「ご自慢のタイムズスクエアでカウントダウンでもして来りゃいいだろうが」 あいつ意地っ張りだから、お前から誘ってくれるの、きっと待ってるぞ、と言えば、アメリカはやや自信なさげな顔で頷いた。 そんなやり取りがあったことさえ、過ぎる年末の忙しさに紛れてしまった頃、一本の電話がフランス宅にかかってきた。フランスはちょうど就寝するところであった。 この時間を狙ってかけてくる人物は、そう多くない。 『よぉ、今いいか?』 案の定相手は、親しき仲に礼儀などありはしないイギリスだった。 「『よぉ』じゃないよお前、今何時だと思ってんの」 『いいじゃねぇか、どうせ寝るだけだろ』 こちらの生活パターンを熟知しているところがまた憎らしい。 『ちょっと相談なんだけどさ……』 「おーう、なんだ気持ち悪い」 イギリスの用向きは仕事絡みの話だと、フランスには何となくわかっていた。それは声の調子や間合いの取り方から、いつの間にか判別できるようになっていた、腐れ縁ならではの能力だ。 だからフランスは就寝間近で弛みきっていた頭を仕事モードに切り替えて、続きを促した。 するとイギリスは、若干声を落として。 『アメリカの奴は……何か企んでるのか?』 この雰囲気で「アメリカ」という単語を聞くとは思ってもいなかったフランスは、つい間抜けな返答をしてしまった。 「……は?」 なのにイギリスときたら、フランスの困惑にもお構いなしで話を進めていく。 『うちはまったくそういう情報掴んでねぇんだけど、お前は何か知らないか?』 「知らないかって……ええと、何を?」 『だから、アメリカが何か企んでるんじゃねぇかって話だよ』 これはアメリカの馬鹿が「ニューイヤーズサプライズパーティ」なるものを水面下で企図してはいないか、などという恥じらいまじりのかわいらしい質問などでは決してない。それは何よりもこの、あたかも仕事中かのような声音が物語っている。 「ええと……何でいきなりお前はそんなこと言い出したのかなー」 『実はさ、クリスマスにアメリカん家でパーティやったろ。あの派手好きがまた馬鹿みたいにさ』 その言い草にフランスは戸惑った。そこからは、今まで垂れ流すように放出していたアメリカへの愛とか情とかそういったものが、まったく感じられなかったからだ。まるで赤の他人のように。 アメリカはそこそこ大国で、彼との外交は少なからず自国に影響を及ぼすから、仕方なく付き合っているのだとでも言わんばかりに。 『あのあと俺、なんでかアメリカと二人でディナーしてな』 フランスは愕然とした。「なんでか」じゃない。そんなのはイギリスもアメリカも望んだことじゃないか。 『さすがに夜も遅かったしクリスマスにいつまでも居るのも失礼だろ。帰るって言ったらあいつ、妙に俺を引き止めたがってさ』 これは、誰だ? 『その時は、あぁ、こいつもクリスマスの夜に一人だなんてさすがに寂しいんだなぁ、ちょっとは理解可能な行動も取れるんじゃねぇかって思って気にも留めなかったんだけど』 まさか。 いや、もはや「まさか」などという段階ではない。 『そしたら今日電話かかってきてさ、ニューイヤーまで一緒に過ごそうとか言うんだぜ? あの俺様何様なガキが、いったい何事だと思う? ひょっとしたら俺を味方につけて、何か大層なことやらかす気かも……あいつ本当最近空気読めない行動ばっか取るからな……巻き込まれたら敵わないっつうの。つるむ気もないのに、あんな国際社会の問題児とあんまり親しくするのもどうかと思うし、クリスマスは付き合ったから、いいかと思って断ったんだけど』 「断ったの、お前!」 思わず大声を上げてしまった。頭の中では、つい昨日一昨日交わしたアメリカとの会話が再生されていた。 『な、な、なんだよ……やっぱりマズかったか? やっぱアメリカの奴なんか企んでるのか?』 今まで自分にベタ惚れだった恋人に、ノエルの夜あっさり帰られて、なおかつ年越しを共に祝うことまで断られて。今までイギリスの愛をその身いっぱいに受けて育ったアメリカが、何を思ったか。考えるだけで悲惨だ。 『だ、だってタイムズスクエアでカウントダウンなんて、寒くてやってらんねぇよ。これで俺に風邪ひかせて弱らせようって作戦かも……』 ああ、このイギリスは、もうフランスのよく知るイギリスではないのだ。もちろんアメリカのよく知るイギリスでもない。 アメリカをその手で守り、育て、利用し、また他ならぬその手を当のアメリカに噛まれ、舐められ、優しく握り締められた――そういったすべての記憶を、体験を、ごっそり喪失した、存在するはずのないイギリス。 フランスは困惑した。 正直、本当にどうしていいのかわからない。とにかく一度落ち着け、と大きく深呼吸をした。 「……なぁ、それ、本気で本当にそう思ってるのか?」 『なんだよ、やっぱりお前何か知って……』 「違うって、お前、アメリカがお前を誘う理由が、本当にわかんないのか?」 あれほどまでにアメリカを想っていたイギリスが、こうも簡単に、消え去ってしまう。それはまったく受け容れ難い出来事であった。 『わかんねぇからお前に電話してんだろうが! もったいぶってないで早く教えろよ!』 受け容れられずとも、今現にここにある、事実。 まさか。まさかこれが夢でないというのなら、この悪夢のような現実を生み出したのは、確実に、フランスの中に宿っていた小さな小さな悪意に他ならない。 「……よし、よし、こうしようイギリス。一度お兄さんと直接会おう」 ――イギリスの中から、アメリカを育てた思い出を消してくれ。 『……そうか? 別に構わねぇけど……』 会って直接、これは悪い夢だと言ってくれ。 (2007/12/11)
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