Décembre miracle



「……なぁ、おい、聞いてんのかフランス!」
「はいはい、聞いてるよ……」
 またかよ、勘弁してくれ、と言う間もなくイギリスに引っ張ってこられて早一時間。一人でべろべろに酔っ払っているイギリスは、先程から同じ話を何度も何度も繰り返していた。
「あいつはいつだって、こっちが期待してるときに限って当て付けみたいなことしやがるんだ……」
「期待してたのか」
「期待するだろぉ……初めてのクリスマスだぞ……付き合い始めてから」
 カラン、と氷が鳴った。イギリスのグラスに入っていたウイスキーが空になった音だ。
 イギリスがこんなふうにみっともなく愚痴を零すとき、八割方アメリカが関わっている。アメリカ――イギリスがかつてすべてを注いで育て上げた、最愛の弟分。彼ら兄弟の傍迷惑な歴史は、思えばアメリカが本国イギリスに反旗を翻したことから始まった。
 それ以来フランスは、毎度毎度、この節度のない酒乱に付き合わされている。
 愛想なら何度も尽かしたが、生憎とこんなイギリスだから、フランスの他に友人がいないのだった。最近になって日本という新たな友を手に入れたようだったけれど、フランスは彼にこの嫌な役回りを押しつける気にはどうしてもなれなかった。
 結局、フランスが付き合ってやらねばならないのだ。
 そもそも諸悪の根源は、イギリス、アメリカ両名の極端な意地に由来する。お互い好き合っているくせに、天の邪鬼な上に妙なところで自信はないし疑心暗鬼だし、嫉妬深いからタチが悪い。第三者から見れば苛立たしいことこの上なく、極めてシンプルな事態を無理矢理ややこしくしたような二人だった。
 ところがこの度、何の間違いか、うっかり事態は素朴な結末を迎えた。おめでたいと言えばおめでたいが、フランスに言わせれば今更だった。
 しかしこれでやっと、こんな馬鹿な儀式には付き合わされずに済む、と一息ついたのも束の間、結局イギリスは今ここで泥酔している。
 実はアメリカとイギリスがうまくいってから一年も経っていないのに、こんなことはもう五回目である。
 今回は、なんでもノエルの過ごし方を巡って、へこたれているらしい。
 結局、傍迷惑なことには変わりない二人だった。
「二人で過ごしたいって思うだろ、普通は!」
「はいはい、なのにアメリカのバカときたら例年どおり盛大なパーティーをやるって宣言して、しかもお前を招待しなかったんだろ?」
 招待状ならフランスにも届いた。
 アメリカも大概自分勝手というか、子供というか。イギリスとそういう関係になったのが気恥ずかしいからと、わざとやっているならもちろん後者だが、アメリカの場合、イギリスのことなんてコロリと忘れて前者、という可能性も否定できない。
 さもありなん、とフランスはため息をついた。
 アメリカは、嫉妬によってしか愛を自覚できない奴なのではないかと、フランスはしばしば思う。
 もはやイギリスが自分のものになった以上、イギリスの気を引いたり、イギリスを気遣ったりする必要などない。「付き合う」とはアメリカの勝手な行動に、いつも当然のようにイギリスがついていくこと。
 アメリカならそう考えていても何の不思議もなかった。
 あれは子供で我儘で傲慢で、いつまで経っても年下根性の抜けない男なのだ。多分に甘やかされて育ったのがありありとわかる。
 まったく親の顔が見てみたいよ、と心の中で呟いて、フランスはちらりと視線を横に遣った。
 そこには、もはやウイスキーを瓶から直接摂取しているイギリスがいた。
「まぁしょうがないな、お前らお互い未成熟だからな!」
 瓶を取り上げると、イギリスは口の端から盛大にウイスキーを零して、舌ったらずに「なんだよー」と言った。
「お前ら、付き合わない方がよかったんじゃねぇの?」
 アメリカに構ってもらう一番の方法は、常に軽くやきもちを妬かせておくことだ。
「なんだよそれ……やっぱり俺じゃ、アメリカにふさわしくないって意味かよ……」
 いやいやそうじゃないだろ、とフランスは激しく落ち込むイギリスに盛大な突っ込みを入れた。どうしてそこで、アメリカを過大評価するのかがフランスにはわからない。
 イギリスはこう見えて抜け目のない冷徹な男だ。イギリスがアメリカの絶対的信頼を浴びながら存分に庇護欲を満たしたあの日々さえなければ、恐らくイギリスはアメリカには落ちなかっただろう、と思う。
 誰よりも居丈高に、誰よりも思い通りに生きていたイギリスの手を振り払うことに、初めて成功したのがアメリカだった。そのことも余計にイギリスの未練に作用したのだろう。とにかく、イギリスがアメリカのような男に惚れたことは、不幸としか言い様がなかった。
 こういうのをほんとの親バカっていうんだろうなと、絶望的な気分でぼんやり思った。
「つぅかさ、アメリカのどこがそんなにいいわけ?」
 長年の、それこそ百年二百年単位での疑問だったことを、ついに訊いてやった。
 昔、彼らがまだ微笑ましい親子にしか見えなかった頃ならわからないでもない。アメリカは普通にかわいい子供だったし、イギリスの教えをよく吸収して立派に成長を続けていた。
 だが、今のアメリカはどうか。一度や二度世界経済の頂点に上り詰めたからといって、まるで永遠の覇者にでもなったかのような居丈高で自分勝手な立ち居振る舞い。
 誰が見ても、イギリスの目が眩んでいるとしか思えないだろう。
「……全部?」
 恥ずかしそうに言われた。思わず乾いた笑いしか出てこない。
「もうちょっと具体的に答えてくれると大変参考になったんだけど残念だなぁー……ハハハ……」
「……正直、どこがとかじゃねぇんだよ……。俺はあいつがこーんなちっちゃい頃からだなぁー、『イギリス、イギリス』って懐かれててだなぁ、独立してからも俺のこと特別に思ってくれてたらいいのになぁって……あいつ、たまにすごく優しいし……ック」
「あぁ、うん、ごくごくたまーにね」


 お客さん、閉店ですから、と店を追い出されて、足元おぼつかないイギリスを支えながら歩く。
 どうでもいいが、イギリスに体重を預けられることが、年々辛くなっていることに気づいた。アメリカの影響で、イギリスが着々と皮下脂肪を貯えつつあるのか、それともフランスが歳なのか、どちらにしても嫌な話だ。
 重いため息をついたところに、身にへばりつくような視線を感じた。
「……アメリカ」
 おいおい、マジかよ、とフランスは思った。
 厄介な場面を目撃されてしまった。
 しかし、こんな酔客しか通らないような夜道で、散歩でもあるまいに。イギリスを迎えに来たのか、フランスを牽制しに来たのか。
 普段はイギリスに対してひどい扱いをするくせに、そのイギリスが他人に奪われることだけは絶対に許さない。彼のイギリスに対する気持ちをなんと名付けたらよいのだろう。子供っぽい独占欲ともどこか違う。それは彼の置かれた特殊な少年時代の状況に由来するものなのかもしれない。
 アメリカにとって、イギリスがいることは当り前で、イギリスが自分を愛することもまた、必然なのだ。そうでなければならない。それ以外は許されない。
 愛といえば愛なのだろう、けれどフランスはそれを認めたくなかった。
 フランスの「愛し方」は、目の前の青年のそれとはまったく違うものだったから。
「お前の、愚痴を、聞いてたんだぞ……言っとくけど」
「……迷惑そうに言うくせに、こんな時間まで結局付き合うんだよね、君は」
 既に意識のないイギリスを引き渡しながら、フランスは視線を逸らした。確かにフランスは、いつもいつもイギリスを甘やかしてしまう自身を知っている。そういう二人のずるずるとした関係を、アメリカが快く思っていないことを知りながら。
 正直、バレなければいいと思っていたのだ。
 しかし、結果的にこうしてバレてしまった以上、イギリスには悪いことをしたな、と思う。イギリスに頼られて、甘やかして、一緒に時を過ごす――そんな時間を少しでも長く続けたかったのは、本当はフランスの方だったのかもしれない。さもなければ、厳しく説教してさっさと家に帰してしまえばよかっただけのこと。
 アメリカの背で眠るイギリスは、何も知らずに間抜けな寝顔。
 かわいそうにな、とフランスは去りゆく背を見つめながら思った。
 きっとイギリスは今日のことで、フランス以上に責めを負わされるのだ。冷たくあしらわれ、心ないことを言われ、また無駄に傷つくのだろう。
 元はと言えばアメリカが、イギリスに優しくしてやらないのがいけないのに。イギリスを安心させてつなぎとめておくこともできないくせに、悪いのはすべてイギリス――フランスはアメリカのそういうところが嫌いだった。アメリカといる限り、アメリカに恋人としての役割を求める限り、イギリスは永遠に幸せになれない、そんな気がした。
 なぜアメリカなのだろう。
 唇を噛み締めて、「俺なら、もっとイギリスを幸せにしてやれるのに」と考えている自身に気づいたとき、フランスは愕然とした。
 いいや、フランスはイギリスの気持ちをよくわかっている。イギリスの「アメリカが好きだ」という気持ちを、尊重してやりたいとずっと思ってきた。
 アメリカがいる限り、イギリスがフランスを選ぶことなど有り得ない。そんなことは、ずっとずっと昔から知っていた。
 今更こんな利己的なことを考えるなんて、どうかしている。
「寒いからなぁ……」
 柄にもなく、寂しいだけだ。


















(2007/12/9)



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