忘れ物厳禁!





 ニューヨーク国連本部。天気は晴れ。
 国である俺は、代表者の付き添いで来ただけなので、お昼は出ない。
 本当は来なくてもよかったんだけど。でも日本も大変そうだったし、少しは力になれるんじゃないかと思って。同じ理由で参加していたアメリカをちらりと見る。
 用意された部屋へ食事に向かう代表者の流れができている中、ぽつりと残るのは、俺のような付き添いの「国」たちだ。
 用意された豪華な食事もいいけど、気楽に外で食べる方がいい。
 今はそういう気分だった。
 んー、と伸びをひとつ。
「今回は、私個人の事情のために、わざわざありがとうございます。イギリスさん」
 すると、ぴしっとスーツに身を包んだ友人が、静かな身のこなしで歩み寄り、笑顔を浮かべて会釈した。
「いやいや、日本も大変だな」
「お礼と言ってはなんですが、近くにおいしいお寿司屋さんがあるんですよ。ごちそうさせていただけませんか?」
「スシ?」
「ええ……海外では珍しい本格的なお店なので、この前見つけて気に入ってるんです」
「スシかぁー……いいんじゃないか?」
 アメリカのやつも、スシは好きだって言ってたしな……。
 ちらり、と目線を流せば、やはり食事に向かう流れに逆らって、こちらに向かう人影がある。
「もちろん、アメリカさんも一緒に」
 俺の視線を追って、アメリカに微笑んだ日本が、明るく言う。
 心の中を見透かされたかのようで、少し気恥ずかしい。
「二人してなんの話だい? ――やあ日本。新しい上司が決まったら、期待してるって言っといてくれよ。できる限り応援はするからさ」
「さあ、どうなることやら……とにかく今日はありがとうございます。そうそう、今イギリスさんに話していたところだったのですが、お昼にお寿司はいかがですか?」
「スシかぁー。残念、昨日食べたばっかりだ」
「お前なぁ、せっかく本場の日本が、オススメの店だっていって紹介してくれるんだぞ」
「だって今日はハンバーガー食べたい気分だしなぁ。一人で」
 いつも思うが、自由なやつだ。
 羨ましすぎて目から汗が出てくる……。
「アメリカさんがそうおっしゃるなら仕方ありませんね」
 じゃあ二人で、と俺が口に出しかけた矢先、日本は深々とお辞儀する。
「では、またの機会に。お二人とも。ドイツさんにも挨拶してまいります」
 爽やかに微笑むと、スタスタと歩いていってしまう。
 あれ、俺は別に、こいつが行かないなら行かないとか、そんなことは一言も……。
 ……ドイツかぁ、そうだよな。俺が日本の立場なら、やはりドイツにも挨拶せねばならないと思うだろう。
 アメリカと二人その場に残される。
 じゃあ、しょうがないからお前と食べに行ってやるよ、と言い募ろうとして、はたと気づく。
 ――今日はハンバーガー食べたい気分だしなぁ。一人で。
 さっき「一人で」……って、さりげなく釘刺してやがったなコイツ!
 くそ。いいさ、どうせお前なんかと食べたくなかったよ! こんな奴嫌味しか言わないし! 寂しくなんかないんだからな! お前と一緒にいたかったなんて思ってないんだからな!
 ちらりと見上げると、勝ち誇ったような笑みを返された。何か口を開こうものなら、言いくるめられてしまいそうだ。
「ちっ」
 俺も一人で何か買って適当に食べるか。仕方ない。
 と、ポケットに手をつっこむ。
 ――あれ?
 あれれれ?
 サイフがない。
 途端、ホテルのベッドサイドに置きっぱなしだったことを思い出す。
「ああ……サイフ忘れた……」
 思わず、隣のアメリカの存在も忘れて呟いた。
 呟いてしまってから、しまったと思う。
 アメリカは無言だが、絶対、心の中でバカにしてるに決まってる。くそっ。
 あぁ、もうなんだってこう忘れ物が多いんだ俺は!
 まぁいいさ。昼食くらい抜いたって生きていける。
 でもやっぱりせっかく日本が奢ってくれるっていうんだから、そうしとけばよかった……。
 いたたまれなくなって俺がその場を去ろうとしたその時、アメリカはすっと懐に手を入れると、ふいに眼前に腕を突き出してきた。その手から落ちたものを認識する前に、反射的に手が伸びて、それを受け取っていた。
 見れば、くしゃくしゃに折りたたまれた100ドル札。
 わけがわからなくて、空色の瞳を見つめていると、憮然とした声で言われた。
「コーヒー買ってきて」
「……は?」
 アメリカに何かもらうなんて久しぶりすぎて、たとえそれがくしゃくしゃの100ドル札でも、これに何の意味があるのだろう、と少しドキドキしてしまった自分が痛々しい。
「なんで俺がテメェにパシられなきゃいけないんだよっ!」
 怒鳴っても、アメリカはどこ吹く風で、空いた席に腰かけて資料を眺め始めた。
「おいっ……」
 さらに抗議を続けようとして、こちらを無視し続けるアメリカの態度がどことなく不自然なことに気づく。
 よく考えてみれば、どんな高級なコーヒーだろうと一杯10ドルもあれば買える気がする。それをわざわざ、100ドルも渡したということは……。
 100ドル札しか持ってませんでした、という可能性もあるが……いやしかし。
 え、え?
 か、貸してくれたってことでいいんだろうか……。
 どうしよう。口角が不自然に上がってしまうのを抑えられない。
 しかしアメリカがあくまで俺を冷たくあしらおうとするから、素直に「ありがとう。これ貸してくれるってことなんだよな」と言うこともできない。
 第一、単に本当にコーヒーが飲みたいだけかもしれない。
 困った俺は過度な期待は避け、後者の方に賭けることにした。
「な、何がいいんだよ」
「スタバの一番安いやつ。アイスね」
 あっさり帰ってくる答え。なんだ、やっぱり後者かよ。
「じゃあ、しょうがねぇから買ってきてやるよ。なんか今日気分いいしなっ!」
 あっさり無視された。

 100ドル札を握りしめ歩いているうちに(なんだか初めてのおつかいに出された子供のようで、ひどく滑稽だ。もしくは本当にパシリのようにも見える)、やっぱりアメリカのあの態度は不自然だと思えてきた。
 そもそもなんであいつはあそこで座り込んで資料を読み始めたのか。あいつだってハンバーガーが食べたいなら、外に出る必要があるはずだ。それなら俺をパシリにする必要性などない。
 やっぱり俺がサイフ忘れたって呟いたから、貸してくれたのか?
 いやいやでも、早まるな俺っ、これで勘違いして、このお金でありがたくお昼を食べたりしたら、後で何言われるかわかったもんじゃ……。
 でも本当に貸してくれたんだったらどうしよう、律儀にこのままコーヒーだけ買って帰ってみろ。こんな厚意も一字一句言わないとわからないような野暮なやつだと思われてしまう……。
 どうすればいいんだろう。
 歩いていると、都合よく目の前にマックが見えてきて、俺はしばし立ち止まる。
 どうせハンバーガー食べたいって言ってたしな。ハンバーガーなら、二人分買っていっても誤魔化しがきくんじゃないか?
「どれが食べたいかわからなかったから、たくさん買ってきてやっただけだよ! 別に俺の分も買っていいって意味かな……なんて勘違いしてないんだからな!」
 よし、完璧だ。
 思わず店の前で言い訳の予行練習をしてしまった俺を、何事かと昼時のビジネスマンたちが眺めているのに気がついて、思わず赤面してしまった。
 ああ、全部あいつが悪い、あいつが!
 何種類かハンバーガーを買って、本部に戻った俺を、アメリカはなんとも感情の読み取りにくい笑顔で迎えた。
「なんだ。ハンバーガー買ってきてくれたんだ?」
 ああ、よかった。とりあえず「君何してるんだい?」とか言われなくてよかった。
「お前、食いたいって言ってただろ」
「うん、ありがとう」
 どうしよう、俺も食べていいのかなそれ、とドキドキしながら、袋の中をあさるアメリカを見つめる。
 どう考えても、一人では食べきれない量を買ってきた。アメリカは何と言うだろうか。
 するとアメリカは数個のハンバーガーを袋の外に出して、数個が残った袋を俺に差し出す。
「俺これ好きじゃないから、君にあげるよ」
「……そりゃ、どうも」
 ああ、やっぱりアメリカは優しい子だ……っ!
 意地っ張りな俺が受け取りやすいように、あくまでも余った風を装うなんて。いや、余るように俺が買ってきたんだけど。
 俺は思わず泣きそうになった。
 あまりに感動しすぎて、咄嗟に礼を言うのを忘れた。
 このタイミングを逃したら、パシられただけという図式の俺に、お礼を言うチャンスは残されていない。
 あーあ、こうやっていつも「ありがとう」って言えないんだ……。
 落胆しながら、アメリカの隣に座ろうとした俺の手を、アメリカがはたく。
「いっ……何すんだよっ!」
「何するんだよはこっちのセリフだよ。聞いてなかったのかい? さっき俺『一人で』ハンバーガー食べたい気分なんだって言ったよね」
 が……。
 俺は思わず大口を開けて固まってしまった。
 そういうオチか……!
 腹が立ったので思いっきり離れてやろうとしたら、円形のテーブルの悲しい性で、真向かいになってしまった。
 むしゃむしゃと腹いせのようにハンバーガーを咀嚼する俺に、ぽつりとアメリカが言った。
「そういえば君……」
「なんだよっ!」
 自分から拒絶しておいて、のうのうと話しかけてくるアメリカに腹が立った。
 俺たち今「別々に」昼食中じゃなかったのか?
「いや、コーヒーは?」
 へ? コーヒー?
 しばらく考えて、そもそもアメリカが俺に100ドル札を手渡した名目が、「コーヒー買ってこい」だったことを思い出した。
「……あ。忘れた」
















ツンデレ二人の日常(標準装備:見ている人がイライラする攻防)。


(2007/9/21)



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