9.生徒会長と一年生 世界W学園。 廊下は走らない、みんな仲良く、弱肉強食、が掟のこの学校で、ピラミッドの頂点に立つ生徒会長が眉間にしわを寄せて廊下を歩けば、誰もが道を譲る。 ましてや今彼がずかずかと向かおうとしているのは、主に一年生の教室がひしめく一角だ。胸を張り顎を引き、毅然と歩く姿はまさに王者と呼ぶにふさわしい、入学一年目の生徒たちは、そんな生徒会長の姿を、畏怖をもって見つめる。 ふと廊下に目当ての姿を見つけたらしい、つかつかと生徒会長はそちらに向かうと、三歩ほど手前で立ち止まり、挙動不審に瞳を彷徨わせた。 やがて意を決したように(まるで告白寸前の少女のように)、一人の生徒の肩を叩く。 「ア、アメリカっ!」 ぎこちない微笑みを浮かべて。 対する一年はその微笑みを思いっきり不審そうに見つめて、一言。 「……何か用?」 無礼極まりないその態度に、もう何度目か、青ざめることになったのは、件のセリフを発したアメリカの話相手となっていた韓国である。 しかしこれも何度目か、すでに経験豊富な彼である。口を差し挟まないのが最善であるとすでに学習していた。 「えっ、用? ……あー、その、なんだ、いい天気だな!」 「……そうだね」 いつもならこのあたりで「用がないならもう行くよ」とかなんとか言って去ってしまうものだが、生憎と今日は移動途中ではない。教室の目の前で、ただ歓談をしていただけなのだ。「用がないなら行くよ」と教室に入っても、廊下から依然として姿は見えるし、なんだかマヌケなことこの上ない。よってアメリカは動けずにいる。 対するイギリスはアメリカのそんな葛藤にも気づかず、何を話したらよいのかわからないという緊急事態に、半ばパニックになりかけていた。 「アメリカ!」 やがて何か思いついたらしい彼は勢いよく顔を上げる。 「な、何」 「ひっ、暇なら放課後、なんか食べに行かないかっ!」 どうやら、必死で用事を考えていたらしい。 「……遠慮しておく」 「えっ……」 断られるとは思ってもみなかったらしい、ものすごくショックを受けた様子で、生徒会長は足元を見つめた。 「そ、そうだよな……じゃあ!」 にこり、と笑ってくるりと踵を返すイギリスに、思わず、と言ったふうにアメリカは腕を伸ばした。 「ちょ、こんなとこまでわざわざ来て……、何か用があったんじゃないのかい?」 「べ、別に何もねぇよっ! 離せよバカァ!」 残念ながらアメリカは、離せと言われて離すような、かわいい性格はしていない。 言われれば言われるほど、わけもわからずムキになってしまうのが常だった。 「ただ……最近お前来ないから……」 「別に俺は生徒会のメンバーじゃないし、行く必要があるのかい」 「そういうわけじゃねぇけどっ、その、この間のお礼も言ってなかったし……」 「この間っていつだい? 君からお礼の言葉をもらいそこねたことなんて星の数ほどありすぎて、いちいち覚えてられないんだけど」 ぐ、と涙目になって、暴れるのをやめてしまう。イギリスにも自覚はあるのだろう。 「……ああ、そうだよなっ! お礼言う必要なんかなかったよな! どうせお前あのあとデートだったんだもんな!」 「は?」 「ちょっと薄情なんじゃないか? 仮にも兄だった人間が熱出して倒れたっていうのに、少しも心配しないで、自分は楽しくやってるなんて――」 「……いつまでもお兄ちゃん大好きなかわいい弟じゃなくて、悪かったね」 自嘲気味にアメリカが言うと、イギリスはハッと何かに気づいたように、視線を彷徨わせた。 「ちが、そうじゃなくて……悪かった……」 唇を噛んでうつむくイギリスを、アメリカは静かに見つめる。 「……心配なら、したよ」 「え……?」 「君はいつもなんでもかんでも一人で背負いこんで、俺には何も分けてくれないで……くそっ」 掴んだ腕ごとアメリカが引き寄せたイギリスは、咄嗟のことに反応できず、そのままアメリカの腕の中におさまり、きょとんと数回瞬いた。 「あ、あめ――」 声を上げたイギリスを、ぎゅううと一層強く抱きしめて、アメリカは囁いた。 「……ごめんね」 ちょうど昼休み終了を告げるチャイムが鳴って、アメリカはするりと教室へ入り、ぴしゃりと扉を閉めてしまったから、残されたイギリスは呆然とその場に立っていた。 ごめんね。 君にこんな気持ちを抱いて、ごめんね。 離れていれば忘れられると思った。なんてことない、単なる気の迷いなのだと、若さゆえの興味なのだと、そう思った。 でも違った。 君の姿を見ないように努力しても、他の女の子とそういうことをしても、ちっとも気は紛れない。 むしろ夜毎に君の夢をみる。 次は君をこの腕に抱いて愛せたら、と思ってしまう。 ああ、四年前、まだこんな焦燥など知る由もなかった頃、なぜ君に弟扱いされるのがあれほどまでに嫌だったのか、悔しかったのか、もどかしかったのか、やっとわかった気がした。 俺は君に恋をしていた。 俺は君と肩を並べて、一生歩いていけたらいいと思ったのだ。 それなのに、イギリスを避けるように引っ越しを繰り返し、想いを殺して遠ざけた。そうすればいつかこの悔しさももどかしさも消えるのだとがむしゃらに信じていた自分がばかみたいだ。 悲しきは、こんな男と兄弟になってしまった君。そして君の、家族への愛情。 こんな俺にも、精一杯兄として愛情を注ごうとしてくれた君。俺はそれを裏切った、醜い感情とともに。 かわいそうに。 かわいそうなイギリス。 けれど俺はもう、この気持ちを殺して「弟」には戻ってあげられない。 かわいそうなイギリス。 君の望むものはもう一生、手に入らない。「弟」になったのが、俺だったばっかりに。 気づけば見慣れた道を歩いていた。住宅街はひっそりと寝静まっている。寮監にコンビニに行くと笑って、終電間際の電車に飛び乗って、そうしてここまで来た。 何も考えていなかった。ただ体のおもむくままに。 人の家を訪問する時刻ではない。 そっと家の門を開ける。カタン、と少しだけ音を立ててしまって、背徳感にぞくりとした。心臓はやけに静かな気がするのに、びっしょりと汗をかいている。 玄関の施錠は音もなくすんなりと開く。一階は真っ暗だった。 二階への階段に、ほんの少し光が落ちている。足を忍ばせて上がれば、二階の廊下は煌々と明るいのだった。 イギリスの部屋のドアは開けっ放しで、中は真っ暗だった。ベッドに目を凝らせど、影は平らだ。 いないのかな。 まだ家に帰っていない? そんなバカな、と思う。今何時だと思っている。もう電車だって営業終了だ。第一、イギリスは電気をつけっぱなしで出かけたりしない。 再び歩き出すと、ぎ、と小さく廊下が鳴った。 まさかな、と思いつつ、隣の部屋のドアに手をかけている自分がいた。 きれいに掃除された部屋。 買ってもらった地球儀。小学校で流行っていたカード。兵隊のおもちゃ。授業で描いたへたくそな絵。 枕の刺繍。清潔なシーツ。置きっぱなしの教科書。 そ、とドアを開けると、中は明るかった。 すぅ、すぅ、と規則正しく寝息が響く。 そのベッドは確かに四年前まで俺が使っていたベッドで、その上に今は、布団もかけずに(というより掛け布団の上に)イギリスが目を閉じて横たわっている。その手元には教科書やらノートやらが広がっていて、どうやら勉強中に寝てしまったらしいことがわかる。 「……アメリカ……」 立ち尽くす俺の耳に聞こえた君の寝言に、俺の箍は完全に外れた。 ごめんね。 かわいそうに。 この人はただ、俺を弟として、大事にしなきゃと思っているだけなのに。 家族が大事で、ひとりが寂しいだけなのに。 ごめんね。 かわいそうなイギリス――。 バサ、と教科書が落ちた。 この続きとして、「9.5.お兄さんと弟さん」が裏にございますが、飛ばしても物語には支障ないと思われます。 次回拍手は10の予定です。 (2007/9/29)
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