8.イギリスくんとセーシェルさん 3日ぶりの学校。校門をくぐる足取りが弾む。 生徒総会の後倒れてしまった俺を、保健室まで運んでくれたのはアメリカだったらしい。その後彼はバイトで忙しいらしく(自分で生計を立てているのだから当然といえば当然だ)すぐに帰ってしまったのだが、この間看病してくれたことといい、アメリカは俺を完全に嫌っているわけではないとわかってすごく嬉しい。 今日会ったら、今日こそちゃんと礼を言おう。 「おっ、復活か。会長サマ」 生徒会室に入ると、フランスがのんきにセーシェルとお茶しているところだった。 しかも俺の椅子に座って。 「フランス……テメェどこ座ってんだ!」 「いや、一回座ってみたかったんだよね。いやー気分いいなぁー」 「そこどけ!」 「お前ぇ、それが恩人の息子に言うセリフかよっ」 確かに伏せっている間ずっとフランスのおばさんにはお世話になっていた。 フランス自身も食事を作ってくれたことを思い出して、素直に引き下がる。 「……くそっ」 「まったく、俺らのような心優しい一家が隣にいなかったらどうなっていたことやら。お前つくづく家族運ないねぇ。アメリカに至っちゃあれ以来一回も顔出さないし。挙句デートがあるからって兄ほっぽって帰るってどういう育て方してんのアレ」 「は? デート?」 聞き捨てならない内容に思わず訊き返すと、フランスがあからさまに「しまった」という顔をする。 その態度が余計に癇に障って、思わずフランスの胸倉を掴んだ。 「デートってなんだよ、アメリカが?」 「いやいや、なんでもないって、間違い間違い!」 「嘘だね! わかりやすすぎんだよテメェ!」 そうかそういうことか。 バイトで忙しいなんてのも嘘で、俺が高熱出してんのにも構わず、かわいい弟は見も知らぬ女とよろしくやってたのか。 カァアアっと頭に血が上ったが、憤りをぶつけるべき相手はここにいない。 一気に力が抜けてしまった。 「……はっ」 そうだよな。あいつ俺なんかもう関係ないって言ってたもんな。 保健室に運んでくれたのだって、泊まり込みで看病してくれたのだって、全部なりゆきで、仕方なかったからなんだよな。 ……やべぇ、泣きそう。 「くそ、アメリカのやつ……今度会ったらぶん殴ってやる」 どうせ今日だっていつものようにひょっこりやってきて、俺に嫌味を言いながらセーシェルに遺跡の話をねだったりして、仕事の邪魔をしていくに違いない。 そう、思ったのに、いつまで経ってもアメリカは現れず、無事に一日が終わってしまった。 「はぁ……」 頬づえをついて時計を眺めている。チクタクチクタクと一定のリズムを保って、針が動いていく様は、別段変ったところもなく面白味もない。 「はぁ……」 「あの!」 本棚の整理をしていたセーシェルが、急に声を上げるから、「なんだ」とぶっきらぼうに返すと、一瞬びくついたものの、意を決したように彼女は口を開いた。 「さっきからうるさいんですけど」 「何がだ」 「だから、まゆ……イギリスさんの、ため息がっスよ!」 俺は思わずきょとんとしてしまう。 「え、俺、ため息なんか……」 「この期に及んで何言ってんだこのやろーッ! ……最近変ですよ、以前にもまして」 「前から変だったみたいなこと言うのはやめろ」 俺が抗議をしていると、セーシェルの言うとおりだ、と割って入る声がある。 「イギリス、お前さぁ、そんなに気になるんだったら自分から会いに行けば?」 ……ほんとにこいつはもう。 「別に気になんて……」 「へ? 会いに行くって? 誰にですか?」 セーシェルの問いかけにはウインクひとつを返して、フランスは「なぁ」と続ける。 しまった。 今ので気にしてるのバレバレだ。 本当に気にしていないと言い張るのなら、セーシェルの言ったことをそのまま言わなければならなかったのに。 「俺からなんか会いに行けるかよ」 「なんでだよ。気になってるんだろ」 「俺から会いに行く資格なんか、ないんだ」 アメリカは俺を拒否して出て行ってしまった。だから、アメリカが俺に会ってもいいと思って会いに来てくれるときでなくては、俺はアメリカに合わせる顔がない。 「……そんなことねぇよ。あいつだって喜ぶぞ」 「喜ぶもんか」 生徒会室を訪れても、友好的なセリフは何一つ吐かない弟の顔を思い出す。 「あいつは何て言って出て行ったんだよ!」 フランスがいつになく真剣な顔で、俺の両肩を掴む。 「『なんて言って』……?」 忘れもしない四年前、小さなリュックをひとつ背負って、キッチンに立つ俺の背後に立った小さな影。 俺はかわいい弟の誕生日のために、ごちそうを作るのに必死だった。明日までにやらなければならない宿題があったけれど、そんなのは後回し。だって俺と弟だけの、たった二人の家族。 ちょうど指を切ってしまって慌てて振り向くと、そこには、恐い顔をした弟が立っていた。 どうしたんだ、ごちそうはまだできないぞ、と言うと、彼は一言、いらない、と言った。 今まで、自分の作った食事を「いらない」なんて言われたことはなかったので、少し動揺しながら俺は訊いた、おなかでも痛いのか? 俺はこの家を出て行くよイギリス。一人で、生きていく。 手から滑り落ちた包丁は、かちゃん、と一回床で跳ねて、そのままそこに横たわった。そのときの傷は今でもキッチンに残っている。 何言ってるんだ? お前はまだ子供じゃないか。バカなこと言ってないで―― 笑い飛ばそうとした俺に、冷ややかな、大人びた声を浴びせた弟。 そうやって、いつでも俺を子供扱いするんだね、イギリス。 俺はいつまで君の「弟」でいればいいんだい? いつになったら、君と対等に話ができるのかな。 こんなこと考えてるのはおかしい? 俺、戸籍上は「弟」だもんな。でも、そんなの偶然なっちゃっただけだろう? ――だからもう、「家族ごっこ」は終わりだよ、イギリス。 「お前が嫌いになったからじゃねぇぞ! だから、怖いのはあいつだって一緒なんだ。お前の手を振り払ったことで、お前があいつを恨んでるんじゃないかって、ほんとはいつだって不安なんだよ」 ぎりり、と痛いくらいに力を込められて、はっと現実に引き戻される。 「なん……っだよ! 痛ぇよ!」 突き飛ばすようにしてフランスを振りほどく。 「わかんねぇよ、そんなの! 嫌いになったんじゃないって、なんでそんなのお前がわかるんだよ! じゃあなんで出て行くんだよッ!」 怒鳴りながら、頭の中を、幼い声がリフレインしていた。 ――いつになったら、君と対等に――。 あぁ、そうか。 もう、弟だと思っちゃいけないんだ。 あめりか。 「……俺の前で泣いても、何も出ないぞ」 言われて、初めて自分が泣いていることに気がついた。 「うるせぇよっ」 「『弟』として俺の下に戻ってこい、とでも言うつもりじゃなければ、いつだって会いに行っていいんだ、イギリス」 言って、フランスは小馬鹿にしたように鼻で笑った。 「でも、お前にそれができるかねぇ……」 難しいぞ、意外と。染み付いた庇護欲ってのは厄介だ。 まるで知っているかのように遠くを見て言うから、思わず素直に頷いてしまった。 「……行ってくる」 四年間逃げ続けていた君の真摯な気持ちにちゃんと向き合ったら、怖いけれど、会いたい気持ちの方が勝っている、そんな気がした。 フランスはしょうがねぇなぁ、というように、ぽんぽん、と背中を叩いた。 まるでそれに後押しされるように、足が動く。 「あぁ、アメリカさんっスね! わかりました! はいはいっ!」 ドアを開けたところでいきなりはしゃいだ声を上げたセーシェルに、思わずヘッドスライディングするところだった。 (2007/9/27)
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