7.フランスくんとアメリカくん
※オリキャラ(仏のおばさん)再び。



 驚いた様子の保険医に事情を説明し、イギリスをベッドに寝かせる。
 かなり熱があり、意識は朦朧としているようだ。
 早く帰って休んだ方がいい、と保険医が言う。
「お家の方は働いていたりするのかな」
 車か何かで迎えに来てもらった方がいいよ、と。
 もちろん「お家の方」などいない。だが正直このままイギリスを担いで電車に乗るのも不可能な話であるし、タクシーを呼ぼうにも金がかかりすぎる。
「連絡してみます」
 あまりこの手は使いたくなかったが、背に腹は代えられない。
 プルル……と何コールか後、はい、と中年女性の声がした。そう、頼れるお隣さんである。

 じゃあイギリスをよろしくお願いします、と言ってにこやかに退散しようとしたら、何言ってるのあなたも来るのよっ、と車に引きずり込まれた。
 あ、フランスの奴……俺のカバンも持って帰ってきてくれるかな……。
「ホントにすいません。わざわざ迎えに来ていただいて」
 後部座席にイギリスを寝かせ、助手席に納まった俺は、居心地が悪くて、とりあえずお礼の言葉を述べることにした。
「何よ他人行儀ね! イギリスくんは家族同然なんだから、いいのよこのくらい! もう、本当アメリカくんってばそういうこと全然わかってないのね!」
「はあ……」
 あれ、イギリスくん「は」って、それって、俺は入ってないのかな……いいけど別に。
「それにしても聞いたわよー、こんな状態でイギリスくん、立派に生徒総会こなしたそうじゃないの!」
 誰に聞いたんだ誰に!
 耳の早いことで。恐れ入る。
「ホント頑張り屋さんなんだから……たまに無理が高じてこうなっちゃうけど、そういうときは、精一杯優しくしてあげなきゃね」
 おばさんはイギリスに夢を見すぎだと思う。
 イギリスが生徒総会を何事もなく終わらせたという話と一緒に、イギリスの横暴生徒会長ぶりも聞かなかったのか。
 間もなく自宅に帰りついて、イギリスをベッドまで運ぶ。イギリスはさっきよりも熱く感じられて、また看病になんて残ったらうじうじ絡まれるんじゃないかと余計な心配をしていた自分が恥ずかしくなった。
「あぁ、着替え着替え……と」
 さすがに制服のまま寝かせておくわけにもいかない。回復した時の苦情が目に浮かぶようだ。
 寝巻きの在処が、四年前とまったく変わっていないのがイギリスらしい。覚えてる俺も俺だけど。
 また自分で着替えろと放置してやりたいところだけれど、イギリスはぐったりしていてまったく意識がないので、どうやら俺が着替えさせる以外にないらしい。おばさんにうまく押しつけるという方法もあるが、生憎彼女は、車を置きに一度隣に戻っている。
 助けを求めるように視線をさまよわせたが、どうしようもない。
「……くそっ」
 ブレザーを脱がせるのは簡単だが、問題はセーターである。
 イギリスに意識があればまだやりやすかったかもしれないが、彼の体はぐったりして、支えていなければ倒れてしまう。それを支えながら同時にセーターも脱がせようとすると、どうしてもイギリスを前から抱きこむ形になって、非常に気持ちが焦る。
 早く離れたいのに、焦れば焦るほどうまくいかないし、イギリスは熱いし。
 なんとか脱がせると、嫌な汗をかいていた。とりあえず休憩とばかりにイギリスを再び横たえ、ベッドの端に腰かけた。
 そのネクタイに手をかける。しゅる、とそれをほどいても何も言わない彼が、どうしようもなく痛々しくて、どことなく寂しい。
 考えてみればこの図って、限りなく有り得ないよなー。
 眠る君の服をこうして、俺が静かに脱がせてるなんて。
「……何考えてるんだ、俺は」
 無心になれ、無心になれ。
 ワイシャツのボタンに手をかけようとした瞬間、イギリスが「う……」と苦しそうに呻いて、俺は思わず三メートルくらい後ずさった。
 自分のオーバーリアクションに気づいて苦笑する、しかできない。
「どうしたの? ……苦しい?」
 俺は看病に来たんだ看病に。看病らしいセリフを吐いてみよう。よし、落ち着いて。
 問いかけてもイギリスには聞こえていないようで。
 汗で額に張りついた前髪を掻き上げてやる。
 看病看病。
 気を取り直して、ゆっくりとボタンを外していく。
 少しずつあらわになる胸板。思わずごくりと喉が鳴った。
 大丈夫。誰も見ていない。イギリスも相当苦しいのか、状況はよくわかっていない。
 心の中でそう呟いて、じわりと沸き上がる甘美な誘惑。
 今なら、何をしても――。
 俺の方が熱があるのじゃないかと思うくらい頭が熱くて、ぐるぐるした。
 そっとてのひらをシャツの中に滑り込ませる。しっとりした肌。てのひらからじんわり伝わってくる熱。
 浅い呼吸を繰り返し、少し乾いたイギリスの唇が震える。
 唇を重ねて、自分の唾液でぐちゃぐちゃにしてやりたいと思った。それはほとんど衝動と言ってもよく、左手をイギリスの胸板に這わせたまま、そっと顔をイギリスの顔に近づけていく。
 ああ、あと少し、あと少しで、あの唇が俺のものに――。
「アメリカくん?」
 がちゃりとドアが開くと同時に「はいッ!」と両手を挙げて振り向いた俺のさわやかな笑顔は、もはや芸術だったと思う。

「もう帰るの? あなたねぇ、たった一人の兄弟でしょ!」
 責めるようなおばさんの口調。けれど今日ばかりは流されるわけにはいかない。
 俺は帰るぞ。誰に何を言われたって帰る。
 二度と変な気を起こさないように。
 だいたいあんな無防備なイギリスが目の前に横たわってるのがいけない。普通に生活していれば、あんな状況に遭遇することはまずないのだから。
 だから俺は悪くない。すべてはこの偶然が折り重なった奇妙な状況がいけないんだ。
「いや、バイトがあるんで! 生活かかってますから! 当日キャンセルっていうのはちょっと!」
 バイトなんか今はしていない。もっぱらネットで株取引が生活の基本だ。
「お金くらいいざとなったらイギリスくんにもらえばいいでしょう。他ならぬあなたのご両親のお金なんだから。――さっきからハキハキ返事しちゃって、変な子ね。……何かやましいことでもあるの?」
 背を向けかけた俺は思わず肩を強張らせる。
 ギクリ。
「……まさかこのあとデートとかそういうくだらない理由でイギリスくんを見捨てるつもりなんじゃないでしょうね!」
 俺は思わず振り向いて、信じられないものを見るような顔をしてしまった。
 いや、何が信じられないって。
 そうだな、普通俺みたいな男子高校生の「やましいこと」っていったらそんなことに決まっているのにちくしょおおおおおおぉ!
「そうだったらよかったなぁ……」
 遠い目をして言った俺の呟きが、あまりに心の底からの本心だったので、おばさんも見逃してくれる気になったらしい、「まったく、明日はちゃんといてあげるのよ」と言うから、にこやかに「はい」と答えた。もちろん逃げてしまえばこちらの勝ちだ、誰がいてあげるもんか! そもそも来るか!
 これでもう、俺は変なことを考えずに済む。
 明日からはいつも通り、イギリスは俺のただの血のつながらない兄。家を出た今となっては他人同然。
 そう、彼の肢体を覆い隠す布を全部はぎ取って、滑らかな白い肌をあますところなく愛撫して、深い口づけを交わしたいだなんて断じて思わな――。
 頭の中でリアルな妄想が繰り広げられていることに気づいた俺は、思わず往来で「ノォオオオオオッ!」と頭を抱えた。思い切り不審な目で見られた。
 ああもうイヤだ、どうしたらいいんだ、どうしちゃったんだ。
 相手はイギリスだぞ。いやその前に男だぞ。胸なんかぺったんこだし、俺と同じものがついてるんだぞ。かわいくないし、声だって低いし。
 ありえない。よりにもよってイギリスに欲情するなんて、はっきり言って理解不能だ。自分で自分がわからない。
 実は俺が健康な青少年すぎて、溜まってるだけなのかも。そうだ、そうに違いない。
 よし、決めた。
 今日はその辺の女の子をナンパしよう。そうしよう。
 そんなことを考えている間に駅に着いていて、ぼーっと切符を買おうと制服のポケットから財布を取り出す。そこでポンポン、と肩を叩かれた。
「お前もう帰んの? よくお袋が帰したなぁ……」
 今ちょうど帰ってきたところらしい、フランスだった。
 厄介な母子だ。せっかく母親の方をまいたのに、息子の方にまた何か不利益な方向に導かれてはたまらない。
「忙しいって言ったんだ! イギリスなんかに構ってられないよ!」
「へぇ……」
 どうにも声が上擦ってしまう。俺が何かに動揺していることくらい、フランスにはばっちりわかってしまうんだろうなと思うとさらに冷静になれそうもない。
「じゃあ。せいぜいあのバカ看病してあげるんだぞ。友達いないんだから」
 とにかくさっさと別れてしまうに限る、と背を向けた俺をフランスが呼びとめる。
「おい、待てよアメリカ!」
 構うものか。
「忙しいって言ってるだろ!」
「……違ぇよ、カバン。何焦ってんだ?」
 怒鳴った俺に多少びっくりしたように、フランスがひょいと学生カバンを掲げてみせる。よく見れば、彼は三つものカバンを持っているのだった。不審なこと極まりない。よくこれで電車乗れたなぁ。
「あ……忘れてたよ」
 ごめんごめん、なんて視線をそらしながら笑った俺の手首をぐい、と掴んで、ニヤリとフランスは笑う。
「何隠してる?」
「……実はこれからデートなんだ」
 何でもない、では離してくれそうにないので、ニヤリとこちらも笑ってみせる。
「ほぉーお。高熱でぶっ倒れた兄貴ほっといてか」
 フランスが面白そうにカバンを引き渡してくれた。よかった、これでこのまま帰れそうだ。
「おばさんには内緒にしといてくれるかな」
「やるねぇ、色男。イギリスがそれ聞いたら泣くなー」
「……え?」
 泣く? イギリスが?
 俺が女の子とデートしてると……?
 ドキリ、と心臓が跳ねた。
「な、なんで?」
 何でもない風を装っているつもりが、どうしても口角が不自然に上がってしまう。
「なんでってそりゃあ、あいつはいつまでもお前がかわいい子供のまんまだと思ってるからなぁ」
「……あ、そう……」
 思わず気の抜けた返答になってしまった。
 そうか、そうだよな。あああもう数秒前の俺を穴掘って埋めたい!
「アメリカ、お前……」
「ああっ! 電車が来ちゃうなぁ! じゃあ!」
 少しでもバカな妄想をしてしまった自分が恥ずかしくて悔しくて、何か言われる前に俺は無邪気な明るさを装って改札までダッシュした。
 ホームまでそのまま走って、振り返る。よし、誰も見ていない。
 はぁ、とため息をついた。
 イギリスがあんまり「どうして出ていったんだ」とか、アメリカアメリカうるさいから、俺はイギリスにとって何か価値のある人物のような気がしていた。
 でも違った。
 俺じゃなくてもよかったんだ。たとえば彼の母親が違う人間と再婚して、その男に連れ子がいたのなら、そいつが今俺がいるべきポジションに、イギリスの愛を一身に受けて立っているんだろう。
 じゃあ俺は?
 親の都合に振り回されて、ある日突然できた兄が彼じゃなかったとしても、同じように慕って反発して家出して、しょうがないなと構ってやったりしたのだろうか。
 ナンパすることなど完全に忘れて、ぼんやりと答えの出ないことを考えながら、俺は寮に戻った。
 イギリスから離れて元通りの生活を送れば、こんな煩わしいことは考えずに済む――済む、はずだった。


















(2007/9/25)



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