3.アメリカくんとフランスくん ※オリキャラ(仏のおばさん)出てます。 今日もイギリスをからかってやろうと思って何気なく生徒会室に足を運んだら、いつも偉そうにふんぞりかえっている革張りの椅子に、イギリスの姿はなかった。 「あれ」 何か仕事をしていたらしい、フランスが奥から顔を出す。大量の書類を抱えて、フランスのくせに忙しそうだ。 「おう、アメリカ。イギリスなら休みだぞ。風邪ひいたって」 「バカでも風邪ひくんだね」 「そのセリフ、お前にだけは言われたくないと思う」 なんだって、と怒りかけて「おっとこんなことしてる場合じゃなかった」と遮られる。 「お前暇ならさぁ、あいつんち見舞いに行ってくれない?」 「はぁ? やだよ」 「うん、言うと思ったけどな。けどホント俺今手ェ離せないの。でもあいつが持ってる原稿が必要なの。それもらってくるだけでいいから! 今日の夜十一時までに上げなきゃいけないんだよ」 「十一時? そんなに残るのかい? 君が?」 普段仕事なんかしてない名誉職のくせに。 「無理言ってそこまで伸ばしてもらったの! イギリスが風邪ってこともあって! 明日生徒総会だからしょうがないんだよ。あ、あと途中でセーシェル見かけたら呼んできて。もう、兄ちゃん一人じゃ、死ぬ……」 「じゃあ、俺が君を手伝うから、セーシェルにその原稿取りに行ってもらったらどうだい?」 イギリスの見舞いなんかごめんだ、とした提案は、にべもなく断られる。 「ダメ。お前なんか猫より使えない」 適材適所っていうしな、と訳のわからない呟きを背に受けながら、俺は生徒会室を後にした。 このままトンヅラしてやろうか。しかしフランスには、実は家出を手引きしてもらった恩がある。といっても、当面の生活費を貸してくれたり、住むところを手配してくれたり、働き口を紹介してくれたり、という最低限のことだけだったけれど。借りたお金を返してしまったら、イギリスに行方をバラされるのが嫌で、フランスにも黙って引っ越した。 だが、恩は恩だ。 恩を忘れるなんてのは外道のやることで、ヒーローのやることじゃない。 チッと舌打ちを一つして、俺は素直に倉庫へ向かった。ノックもなしに開けてやる。中はひやりと冷房がきいていて涼しかった。 案の定、そこに見つけた黒髪の少女に「やあ」と軽く右手を挙げた。彼女は少し警戒するようにびくついたが、素直に「こんにちは」と返してきた。 「これはこれはアメリカさん、セーシェルさんに御用ですか?」 お茶でもどうです、と言ってくれた日本に軽く首を振ってみせる。 「セーシェル、フランスの野郎が呼んでるよ」 「え、フランスさん? まゆ……イギリスさんじゃなくて?」 「イギリスはくたばってるらしい」 「はぁ?」 「とにかく早く行ってあげて。フランスが仕事のしすぎで倒れるよ」 訳がわからない、といった風に出てきたセーシェルが、昇降口へ向かう俺の背に問いかける。 「アメリカさんはどこ行くんですかぁー?」 「地獄」 「は?」 電車を乗り継いで三十分ほど、降りた駅は、ずいぶんと様変わりしていた。 「四年経つんだもんなぁ……」 兄弟二人で通ったスーパーも、別の名前になっている。 「なんか買って行ってやるか……」 さすがに、病人の家に手ぶらで上がりこむ程無神経ではない、つもりだ。 自分の為に買ったコーラ味のアイスをくわえながら、りんごとヨーグルト、スポーツドリンクの入った袋を軽く揺らしながら歩く。 それはイギリスがいつも、風邪をひいた自分のために用意してくれていたものなんだと気づいて、少し気分が悪くなった。俺は小さかったから、蒸発した両親のことはよく覚えていないが、たぶんこれは、イギリスとその母親の流儀だったのだろう。 あいつは、そういう奴なんだ。 まずイギリスには友達が極端に少ない。昔からそうだった。近所の年上の少年たちにいじめられて育ち、それで根性がひん曲がってしまったようで、幼い時分に一時は非行に走りかけたこともある、らしい。小学校低学年かそこらの非行ってなんだ……、バッタに火でもつけたか、登校拒否か、万引きか、いじめか、恐喝か、ホームレス襲撃か。 その反動だかなんだか知らないが、彼の家族を大事に思う気持ちはちょっと尋常じゃなかった。 何かと言えば母さんのやり方がなんだと言って、それに固執する。俺にもそれを押しつけようとした。 対して俺の父さんはよく言えばおおらかで、悪く言えば適当な人だったようだから、イギリスもひょっとしたら「母親をたぶらかして連れ去って行ってしまった男」くらいにしか思っていないかもしれない。 両親が蒸発してしまってからは、イギリスはその家族への愛情を全部俺に注ぎ込み始めた。 最初は頼りになる兄だった。家事もよくこなすし(食事だけはダメダメだったけど)頭もよくてケンカも強かった、自慢の兄だった。大好きだった。 「……やめよう、こんなこと考えるの……」 鬱になりそうだ。 住宅街はさすがにそこまで変わらない。見覚えのある道、見覚えのある家。 見上げた家は相変わらず大きかった。両親は世間でいえば金持ちの部類だったのだろう。しばらく1DKのアパートやら寮やらで暮らしていた身からすれば、一人暮らしにはムダの多すぎる家だ。 それでも彼のことだから、家は隅々まで掃除されているのだろう。 いつ両親や俺が帰ってきてもいいように、とか言ってさ。けなげだねぇ……。 その隣はフランスの家だ。 呼び鈴を鳴らそうとして、やめる。フランスをあんな状態で放っておかざるをえないほど具合が悪いのなら、鳴らしたところで出ては来ないだろう。確かキーケースに、面倒くさくてつけっぱなしの家の鍵があるはずだった。錆びてるかもしれないけど。 ごそごそしていると、「あらぁ」と中年女性の声がした。 「イギリスくんのお友達?」 その女性に俺はものすごーく見覚えがあった。フランスの母親。「夜の仕事」をなさっているので、ちょうど今頃ご出勤なのだろう。 「あぁ、ご無沙汰してます」 なんとなく気まずくて目をそらす。俺の家出に同情的だったフランスと違って、彼女はひとり残されて泣いてばかりいたイギリスの味方だったと聞く。 「あら、会ったことあったかしら?」 あれ、ひょっとして俺、識別されてない? いくら四年経ったからって、「お友達」扱いとはちょっと不愉快だ。彼女は本当にイギリスに友達ができるとでも思っているのだろうか。 「今日あの子風邪ひいて寝込んでるのよ、お見舞いでしょお見舞いでしょ? これからもイギリスくんと仲良くしてあげてね。あの子はほんとに寂しい子で、両親も弟も勝手に出ていっちゃって一人ぼっちなんだから……今頃何やってるのかしらあの人たち……ほんと、勝手なんだから……うっ、うっ……」 お見舞いでしょ、は二回言わなくていい、と突っ込もうとした瞬間、泣きが入り始めた。 はぁ……。 完全に俺は「悪者」ですか。 「イギリスくんを、よろしくね!」 意気消沈していると、がっし、と手を握られた。 「いや、あの……」 どうしよう、適当に「任せて下さい」とか愛想笑いして別れるべきだろうか。 それとも、「フランスさんに頼まれただけなんで……」とちょっぴり抵抗してみるか。 正直に俺が「弟=悪者」であることを知らせる気にはなんとなくなれない。 「あめりか……?」 おばさんに手を握られたまま迷っていると、かすれた声が玄関の方から聞こえた。ばっと振り向くと、パジャマ姿にカーディガンを羽織ったイギリスが、少し開けたドアにもたれかかるように立っている。顔が真っ赤で、苦しそうに歪められた。 「イギリス! ちょ、寝てなよ!」 今にも倒れそうなその様子に、慌てておばさんの手を振り払って駆け寄る。 「何、しに、来たんだよ……」 意地でも俺の手は借りない、とでも言うかのように、ドアにすがりつく姿がムカつく。 「いやいやいや断じてお見舞いじゃないぞ! フランスの奴が原稿取って来いって言うから!」 「なん……、そんなの、PDFにしてとっくにメールで送ったっつうの……」 ぜえぜえと放たれた真実に、俺は思わずガサリとスーパーの袋を落とした。 その手があったかあああああ! 「くっそフランスの野郎ぉおお!」 抗議しようと携帯を取り出すと、留守電が一件。 『ごめんアメリカ。原稿なんだけど、なんかメール見たら来てたから、ゆっくりやってくれよ。じゃ』 「何が『ゆっくりやってくれよ』だ、あのワイン野郎!『ごめんアメリカ』で済むかぁあああ!」 お前ってスラング吐くとイギリスそっくりだなぁ、とフランスに感心されたことを思い出す。 一人で憤慨していると、いつの間にイギリスは地面に落ちたスーパーの袋を回収して、中を改めている。 「お前……これ……買ってきてくれたのか……?」 「えっ」 あああああやめてくれ、そんな潤んだ目で見ないでくれ。 「は、入れよ、お茶くらい……出してや……」 ふらつく背中を支える。うわ、めちゃくちゃ熱い。 「いやいや寝てなってマジで。お構いなく!」 熱を出しているくせに俺に構おうとするイギリスを無理やり寝かしつけ、その辺のタオルを水で濡らして額に置いておく。りんごでも剥いてやろうかとキッチンへ行くと、そこには、恐い顔をしたおばさんが、いた。 「あ、おばさん……お仕事は……」 勝手にりんご剥いてるし。 「遅れて行きます」 彼女は雇われる側ではなく雇う側なので、さしたる問題はない、が。 「いやいやいや、俺がやるんで、どうぞお仕事行ってきてください」 「アメリカくん」 ドスのきいた低い声で言われた。 あぁ、やっぱりバレてる。イギリスに声をかけられた時点で絶望的だと思ったけど。 「はい……」 諦めて姿勢を正す。 その後おばさんはイギリスの世話をしながらも約二時間に渡って「今までどこにいた」だの「イギリスくんがどれだけ苦労したと思って……」だの延々と説教を続けた。 もう何度目か、すっかり寝入ってしまったイギリスの額のタオルを交換しながら、おばさんは急にしんみりして言う。 「それにしても、アメリカくんもすっかり大きくなったわね……男前になっちゃって……全然わかんなかったわよ」 「恐れ入ります……」 ちらり、と横目で見られる。恐い。 「……来なさい」 「はい……」 おばさんが向かったのは、俺の部屋だった。 開けて、というので、素直に従う。 眼前に広がったのは、予想通りといえば予想通りの光景だった。 飛び出していったあの日から何一つ変わっていない。それでいてどこにも埃など積もっていない。隅々まで掃除のゆきわたった。まるで今も、12歳の少年がこの部屋で生活しているかのような。 俺は何も言わなかった。 「……何か言うことは?」 「……イギリスは、そういう奴なんだよ。ばかみたいに、12歳のかわいい弟が、そのまま戻ってくるって信じてたんだ……ばかだなぁ……出て行ったあの日俺が言ったこと、何も聞いてなかった、何もわかってくれてなかった」 無表情にかつしんみり言い放つと、おばさんは軽くため息をついた。 「別にあなたの言い分もわからないではないけど……、でも、あなただって、イギリスくんの気持ち、ちゃんとわかってる?」 わかりたくもない、と俺は呟いた。 おばさんはぽんぽん、と二回俺の背を叩く。その位置の低さに、いつの間にか、かつて母親のように世話を焼いてくれたこの人が、ずいぶん小さくなったことも知る。 「今度こそ仕事に行きますから、あとはよろしくね。ほっぽって帰ったりしたらだめよ。明日生徒総会なんでしょ、生徒会長がいなきゃ、話にならないじゃない」 そのまま一人にされて、盛大にため息をついた。気分が最高に最低だ。 シーツだってきっと定期的に洗濯されているに違いないベッドに横たわる。ここでは誰も寝やしないのに、ご苦労なことだ。 枕カバーに施された、刺繍を指でなぞる。イギリスがしてくれたそれが、女の子みたいで嫌だとぶーたれたことも、ちゃんと覚えている。 「……あれ?」 ベッドの隅に、違和感を覚えた。 布団をめくってみると、数冊の教科書が出てくる。それも、高校三年生用の。 どう見ても、イギリスのものに違いなかった。 「なんでこんなとこに、教科書……」 ご丁寧にシャーペンと消しゴム、ラインマーカーが挟まっているものもある。 「…………」 寂しくてどうしても耐えきれなくなった夜は、俺のベッドに横たわって勉強して気を紛らわす――そんなイギリスの姿を想像したら、一気に体中の体温が上がった。 「まったく恥ずかしいなあのバカ……ッ!」 こんなことなら、出て行くとき、この部屋ごと燃やしておくんだった! ちょっと続きます。 (2007/9/10)
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