2.イギリスくんとアメリカくん それは、セーシェルが入学する数か月前の話。 「好きです、付き合って下さい……!」 目の前に立ちはだかった小柄な少女を、イギリスは値踏みするように眺め、冷たく一言、言い放った。 「断る」 世界W学園。 この学園の最高権力者であるイギリスとのコネを作ろうと、こうして迫ってくる生徒は男女問わず多い。利用価値があれば子分くらいにはしてやるが、先ほどの女生徒はフランス領だとわかっていた。 だいたいフランスはかわいいとか色気があるとか、気分で子分を作るので、フランス領は大して利用価値もないことが多い。 「おいおい、あの子超かわいいじゃん。いいぜ、俺に遠慮なんかしなくても」 スタスタ歩くイギリスの隣を、フランスがニヨニヨしながらついてくる。 「してねぇよ。いらないもんはいらない」 「あっそ……お前も一度、女の子と付き合ってみればいいのにさぁ。そしたらちったぁ、人間丸くなると思うよ?」 「余計なお世話だ。だいたい、興味が湧かない」 「あぁ、そうでしたね。イギリスちゅわんは一途でしたもんね」 ぴたりとイギリスが足を止める。 「どういう意味だ」 「どういうもこういうも、アメリカはもう戻ってこないぞ」 かぁっ、と顔を赤く染める学園一の権力者を、すれ違う生徒たちは物珍しそうに眺めているが、イギリスはそれにすら気付かないくらい動揺しているらしい。 「うるせぇな! そんなことわかんねえだろうが!」 「だってあれから何年経ったと思ってんのよ、五年よ五年」 「まだ四年だ!」 恐怖の鬼会長がまさか四年前に逃げられた恋人に未練たらたらなのだろうか。傍から聞いていればそういう風にしか取れない会話に、廊下中が聞き耳を立てている。しかも「アメリカ」といえば、どうやら男の名前のようで、余計にセンセーショナルだ。 「お、俺はなぁ! いつかアメリカがお金もなくなって行くあてもなくて途方に暮れたとき、『ごめんね、イギリス……!』って帰ってきてくれたら、何も言わずに抱きしめ返すって決めてんだ……うっ」 しまいには泣き出した。 ありえない。本当なら写真を撮って校内中にふれまわりたい気分だが、後が怖いので誰もがうずうずと肩を揺らしただけだ。 「おい、泣くなよ。みんな笑いがこらえきれないってさ」 「アメリカぁ……」 どうしようこれ以上立ち止まっていたら不自然だ、とその場の全員が迷い始めていたとき、ガチャン、と盛大な音がして、イギリスの真後ろの窓ガラスが砕け散った。 それに比べれば幾分か地味な音で、白球がイギリスの後頭部に直撃する。 きらきらと細かい破片が散って、すべて地面に落ちてしまうと、後には気まずい沈黙が下りた。 「……ッ誰だこの野郎!」 ご立腹だ。 涙目なのに妙に迫力がある。 傷心のところをさらに痛めつけられてもう我慢ならない、ということか。 「……ばいんだぜ、……カさん! 生徒会長ですよ!」 外からがやがやと甲高い声が近づいてくる。どうやら犯人は一年生たちのようで、廊下にとどまっていた数人は、これから起こるであろう惨劇に巻き込まれることを避けるために、一斉に近くの教室に逃げ込んだ。 「生徒会長ぉ?」 ひときわふてぶてしい声が響いて、ひょい、と金髪が割れた窓から頭をのぞかせた。 ボールを持ってぷるぷる怒りに震えているイギリスに目を止めると、怖気づいたふうもなくからりと言った。 「ああ、ごめんね。当たっちゃったかい? それ俺たちのボールなんだ、返してくれる?」 「だからッ! 生徒会長だって言ってますよねアメリカさぁあああん! 謝りましょう、全力で謝罪しましょう! ああもう、俺一人で謝るんだぜ!」 金髪の後ろで騒いでいるのは、お調子者で有名な、アジアクラスの韓国だった。普段はばかみたいに明るい彼が、顔面蒼白で、無礼な態度を取った金髪を揺すっている。 「……あめ、りか?」 対する生徒会長は、韓国のセリフを聞くや否や、怒りに震わせていた肩をぴたりと止め、ゆっくりと顔を上げた。 しばしの沈黙。韓国はわなわなと震えて、何も言えないようだ。 教室の中に避難していた数人も、聞き覚えのある、というか先ほど話題に上ったばかりの固有名詞に、ついつい顔を出していた。 ぽかん、と目の前の金髪少年の、メガネをじっと見つめていた生徒会長に対して、ぱちぱち、と数回瞬きをした少年は、うげ、とでも書いてありそうな顔で言い放った。 「――あれ、イギリス?」 修羅場だ。 誰もがそう覚悟した。 「あ、あ、あめっ、あめりかっ、アメリカなのか……ッ?」 状況を把握できていないらしい生徒会長に代わって、素っ頓狂な声を上げたのは副会長フランスだった。 「やあ、フランスじゃないか。なんか老けたね?」 「大人の魅力って言えよ! ――って違う! おま、おま、お前……、また、いきなり大きくなって……」 「そうかな。ああ、イギリス君少し縮んだんじゃないかい?」 ぽんぽん、と頭を叩かれた生徒会長はその瞬間、魂でも抜かれたかのように後ろに倒れ伏した。 「最悪だよ、せっかく入った学校が、まさか君たちとかぶるなんて」 保健室のベッドに横たえられたイギリスを一瞥して、アメリカは心底うんざりしたように窓にもたれかかった。 気がついたのか、イギリスが「んん……」と唸った。 それを見るなり、アメリカはさっさとドアに手をかける。 「じゃあ、俺はもう行くよ」 「おい、アメ――」 「じゃあね、フランス」 ピシャリ、と無情にもドアが音高く閉められる。 「う……ここは……?」 絞り出すような声でイギリスが言う。「保健室」と答えてやったフランスだってまだ混乱が抑え切れていなかった。 「おい……韓国」 逃げ遅れた韓国にちらりと目線をやると、かわいそうに目に分かるほどビクついた。 大丈夫、取って食ったりしないから、となだめて、丸イスに座らせる。 「あれは、お前の友達か」 「はぁ……アメリカさんは、南北アメリカクラスの転入生です。一年でヨーロッパクラスでもないのにすごい強くて、たまにわがままだけど……」 ボソボソと韓国は決まり悪そうに話す。彼は誰の子分だかまだはっきり決まっていなくて、中国やロシア、日本が争っている最中なのだ。それをさらに、生徒会長、副会長コンビと密室で三人っきりにされたらもううんざりだろう。 「あいつは……今どこに住んでるんだ?」 ようやく冷静になってきたらしい、上半身を起こしたイギリスが問う。 「学校の寮です」 「なんでまた転入なんか」 これはフランス。 「それが、あの歳にしてなぜか一人で生計を立ててるらしくって、新聞奨学生なんかをしながら色んな学校点々としてたらしいんですけど、『株始めたらやけに儲かっちゃってさー』とかいうことで、この度名門と言われるうちの学校に入って、さらなる一獲千金のチャンスを狙うとかなんとか……」 「ああ、あいつ好きだったな……自分の力で一攫千金、みたいなの」 フランスが遠い目をして呟くも、イギリスはむっつりと押し黙って何も言わない。 「あの、俺、もう行っていいでしょうか……兄貴と約束が……」 おずおずとドアの方へ後退していく韓国に、手振りでいいぞ、と示して、フランスはイギリスの肩を抱いた。 「あいつガキだガキだと思ってたけど、一人でたくましくやってんだな。……残念だったなー、何も言わずに抱きしめられなくて?」 「う……」 うるさい、と言いかけた言葉は、嗚咽にまじって消えた。 アメリカが「もうこんな家にはいられない」と激昂して出て行った日も、イギリスはこんな風に泣いていた。一年、二年と経っても、出て行ったその日が――その日はちょうど、アメリカの誕生日だった――巡ってくるたびに、こんな風に泣くのだ。 それでもずっと淡い期待を抱いていたのだろう。 いつかアメリカがあの日のままの姿でひょっこり帰ってきて、「ごめんね」と一言、そして何事もなかったかのようにまた、二人で暮らせることを。 アメリカはイギリスのすべてだった。両親がある日突然いなくなったときも、イギリスは、自分も泣きたいだろうに「アメリカのために」、と自分を励まし励まし立っていた。あの頃アメリカは、イギリスの生き甲斐だった。そしてたぶん、今でも。 それでも、今日現れたアメリカは、そんな幻想を打ち砕くのに十分だった。 イギリスよりも伸びた背、体格のよい体。見慣れないメガネ、大人びた顔立ち。そしてあの、冷たい態度。 極めつけに、イギリスなんかいなくても立派に自立して生きている彼の姿。 いつもは小憎らしいだけの弟分みたいなイギリスが、今はほんの少しだけかわいそうになって、泣きやむまで髪を梳いてやった。 イギリスは「アメリカ」しか言わなかった。 (2007/9/4)
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