1.セーシェルさんとアメリカくん 「せーちゃーん!」 この間の抜けた呼び声は。 振り返るとやっぱり。 くるんとカールしたアホ毛がトレードマーク、ヨーロッパクラスのイタリアさんだ。 「こんにちは」 「ヴェー、こんにちは。あのねあのね、いいマスカルポーネ見つけたからね、今日ティラミス冷やしてあるんだよ、遊びに来ない?」 この学園におけるヨーロッパクラスの地位は、他のクラスに比してものすごく高い。なんでこんなに不公平なのってくらい高い。成績が良いっていうかなんていうか、まぁそういうことなんだけど、みんな他クラスに対しては居丈高だし、「植民地」と称しては子分をたくさん従えている。暴力沙汰もしょっちゅう。そういうのをこの学園では「成績が良い」というらしい。なんてったって掟の3は「弱肉強食」だからだ。 ところがなんでかこのイタリアさんだけは、いっつもへらへら笑っているのだ。 見ているこちらが呆れてしまう。ヨーロッパクラスでいじめられたりしてないのかしら。 遊びに来ないか、というのは、漫研の部室(ただの倉庫なんだけど)でのお茶のお誘いだ。もう何度か私はお招きを受けているけれど、さすがヨーロッパクラスのはしくれ、最近勝手に冷蔵庫を備え付けたらしい。さらに言えば空調完備だ。 「日本もね、水羊羹っていうの作ってくれてるって」 日本さんはアジアクラスでは唯一、学校内でヨーロッパクラスの面々に準じる地位を保っている結構やり手な人なんだということを、最近知った。あとはタイさんを除き、みんな何かしらヨーロッパクラスの子分にされちゃったりして。 彼の成功の秘訣は、何といっても「この学校で一番偉い」という生徒会長の友達をやっていることよね。人一倍居丈高なくせに、友達がいないのを実は結構気にしている彼の隙をつくなんて、まったくうまいやり方だわ。 と、そこまで考えて、私はがっかりため息をつかなければいけなかった。 「ごめんなさい、イタリアさん……私、今日もあのまゆげ野郎に呼び出しくらってたんでした」 あぁ、てぃらみす……! みずよーかん……! なんだかよくわからないけど、すっごく美味しそう! たまに我らが生徒会長が「焼きすぎた」と称しては生徒会の面々に無理やり食べさせているくそまっずいスコーンに比べて、漫研に遊びに行ったとき出されるお菓子はものすごく美味しい。 「そっかぁ……、イギリスかぁ……。じゃあ、お仕事終わって来れたら来てね」 ヨーロッパクラスといえども、イタリアさんは生徒会長を心底恐れているようで、ちょっと青ざめた顔で「がんばってね」と言った。 生き地獄だ……。 イタリアさんと別れて、重い足取りで生徒会室に向かう。 ノックをしようと扉の前で右腕を上げたところで、いきなりドアが外側に開いて、私はドアに鼻先をしこたまぶつけた。 「ぎゃっ!」 痛い。ものすごく痛い! 絶対今漁獲量下がったぁああああ! 「あ、ごめん……大丈夫だったかい?」 まゆげ野郎だったら思いっきり睨みつけてやろうと思ったのに、聞こえた声は妙にのほほんとして悪びれない、聞き覚えのないものだった。 見上げた先に、妙なジャケットを羽織ったメガネの男子生徒が見えた。 見たことのない顔だ。金髪碧眼、ヨーロッパクラスだろうか。 ヨーロッパクラスに対して無礼は厳禁だが、生憎と私はすでに「イギリス領」だったので、多少のことで手ひどいマネをされることはない。悔しいけれど、子分として働かされる一方、それだけの加護を与えられるというメリットもある。だから甘んじて子分をやっている生徒も多い。 この学園で生きていくための知恵さ。こっちがあっちを利用してやってると思えばいい。 とは、アフリカクラスの友人の言葉。 「全、然、大丈夫じゃないです!」 ものすごい非難を込めて言った。幸か不幸か私は「この学園で一番偉い」生徒会長サマの所有物なのだ。その辺のヨーロッパクラスでは迂闊に手出しできない。 「っていうか、あなた誰ですか?」 「そういう君は誰だい?」 「わ、私は、イギリス領セーシェルです!」 どうだ、恐れ入ったか。 なんて思ってる自分が少し悲しい。普段働かされてるんだからこれくらいのメリットはあっていい……んだろうけどなんだかなぁ。言っててむなしいよ。 「へぇ……イギリスも見境ないねぇ。君、こういう子がタイプなのかい?」 相手は名乗りもせずに、小馬鹿にした調子で背後を振り返った。あれあれ、全然恐れ入ってねぇよちくしょう。背後とは当然、生徒会室の中。 その言を受けてか、しばらくして青筋立てた我らが会長サマが、メガネの生徒の後ろから顔を出した。 「お前……、何してるんだ」 心底呆れたような顔で私を見下ろす、いや、見下す。 「ノックしようとしたら急に扉が開いたんです!」 私のせいじゃねぇえええ。 「いいから早く立て。それからアメリカ、ドアは静かに開けろって何度も言ってるだろ」 「はいはいはい、わかったようるさいな」 アメリカ、と呼ばれた生徒は邪険にするように、会長の眼前で手をおざなりに振る。 うっわ、何この態度……ありえない。 我らが生徒会長にこんな不遜な態度を取れるなんて、フランスさんくらいなものだ。 フランスさんはどうもまゆげ野郎の幼馴染とも言える人らしく、はぁ、なるほどね、と納得していたのだけれど。 見る限り、そのフランスさん以上にまゆげ野郎に大して本音丸出しだ。全身から「ウザい」というオーラが出ている。 こいつ、何者……? 私が驚きでぱくぱく口を開けていると、無理やりまゆげ野郎に腕をひっつかまれて立たされた。あ、びっくりしすぎて立つの忘れてた。 アメリカ、と呼ばれた生徒はそれを面白くなさそうに一瞥したあと、フン、と鼻で笑った。 「ほどほどにしなよ、もう若くないんだからさ」 そんな捨て台詞を吐いて去っていく。 な、なんじゃありゃああああ! まるで私とこの野郎がみだらな関係みたいじゃないのぉおおお! はらわたが煮えくりかえってきた。 このまゆげ野郎は、自称紳士だけあって、フランスさんと違い、子分は純粋に子分としてしか扱わない。口説いたり、エロいことしたり、そういうのは絶対にない。 フランスさんに言わせれば、まゆげ野郎は相当の「エロ」らしいんだけど、少なくとも私はそんな姿を見たことはない。「どうしてですか」と聞けば、フランスさんはニヨニヨしながら「あいつは頑固で一途だからなぁ……」と返された。さらに問い詰めようとした矢先、まゆげ野郎の飛び蹴りを食らったフランスさんは床をもんどり打ち、結局聞けなかった。 ちょっと何なんですかあの人! と我らが生徒会長に問いかけようとして振り向くと、普段は絶対に見ないような、遠くを見つめるまゆげ野郎の姿。 え、何、せんちめんたる……? ぼーっと立っているまゆげの側にいても埒が明かないので、まゆげはそのままに生徒会室の中に入ると、フランスさんが何事もなかったかのようにワインを飲んでいた。 おいおい、未成年だろあんた。こんな昼間っから学校で……。 それでこそヨーロッパクラス。 「なんなんですか、さっきの人」 まゆげに聞けなかった疑問をぶつけてみる。 「あー、災難だったな、セーシェル。普段はあそこまで失礼な奴じゃないんだけどな、ヒーロー気取りだし。まぁ、痴話喧嘩の巻き添えくったと思って我慢してやってくれ」 「はぁ……。あの人、生徒会の人じゃない、ですよね? ヨーロッパクラスの人ですか」 「いやいや、あいつはまだ一年だから。あれは南北アメリカクラスのドンだ。名前はアメリカ」 「い、一年?」 一年生なんかにあの扱い、しかもヨーロッパクラスじゃないなんて、恐怖の生徒会長が聞いて呆れる。と思って入口の方を見やれば、まゆげはまだぼーっと突っ立っている。 「あーあ、相当おセンチだね、ありゃ」 ほんとですよね。 「あいつも嫌われたくないなら、植民地とかやめればいいのに」 あなたが言いますか。 「嫌われたくない、って、ホントなんなんですかあの人」 まゆげに友達がいないのはいつものことじゃないですか。 「うーん……」 フランスさんは迷ったようにちらちらまゆげと私を見比べ、ちょっと耳を貸せ、というように手招きした。 警戒しながらもそっと耳を寄せる。この人は、迂闊に近づくと何されるかわからない。 「あれはな、ずーっとあいつが可愛がって育てた義理の弟なわけ」 「え」 そんな特殊な関係だったのか。 まあ、あのまゆげが「いいお兄ちゃん」だなんて想像もつかないけど。 「親同士の再婚で兄弟になったわけなんだけど。うーん、で、まぁ、それでその両親がある日突然蒸発しちゃってな」 「はぁ?」 なんじゃそりゃ。 何その、ドラマもびっくりの急展開。あのまゆげそんな複雑な経歴の持ち主だったの? 「それで、イギリスの奴は俺がアメリカを育てるんだ、とか妙に気負っちゃって、しばらくは兄弟仲睦まじくやってたんだけど、あいつもあんなだからさ、そのうちアメリカの奴がキレて家出したのな。それが四年前」 あぁ、あのまゆげと二人っきりにされたら、そりゃ家出もするわよね……。 私がそう思っていると、フランスさんは苦笑して続ける。 「セーシェルは、イギリスの強圧的なトコしか知らんかもしれんけど、ホント猫かわいがりしてたんだぞ、イギリスはアメリカを。俺が見てもちょっと甘やかしすぎなんじゃないかってくらい。兄バカっていうか、もうアメリカにベタボレでな」 「えぇー」 さっきの人をどうやったらベタベタに甘やかせるんだろう。 ぶっちゃけまゆげより背も高かったしガタイもよかったような。 思ったことが顔に出たのか、「四年経ったらあんな可愛げのない野郎になってたんで、イギリスもびっくりしたみたいだけど」と解説を入れられた。 「こっちはもうさ、四年間、アメリカは死んだものと思って諦めろ、って慰めてたんだけど。それがあんなんなって再会だろ。イギリスは昔が懐かしくてやたら構おうとするんだけど、アメリカにとっちゃイギリスに再会したことなんか災難でしかないよなぁ、さぞウザいだろうよ。そんなすれ違いな二人なわけでしたー。あ、これ俺が話したって、イギリスには秘密な」 最後はおどけるようにして、ちゃんちゃん、とフランスさんは話を締めくくった。 はぁ、なるほど……ちょっと壮大すぎてにわかには信じがたい話だけど、いまだにアメリカさんの去った方向を見つめてぼけーっとしているまゆげを見れば、なんか納得してしまう。 さすがにフランスさんも見かねたのか、よいしょっとオヤジ臭いかけ声で立ち上がると、イギリスさんの肩を叩いて無理やり戸を閉めた。 「ほら、セーシェル来てくれたんだから、仕事するぞ」 「あ、ああ……?」 呆けたように返事をするまゆげは、フランスさんの話も果たして理解できているのかどうか。 うーん、あんなまゆげ、しおらしくてなんか調子狂うなぁ。 溜飲が下がると言えば下がるけど。 てぃらみすとみずよーかんの代わりに、珍しいものが見れたので、まぁ今日はよしとする。それくらいたくましくなければ、植民地なんてやってられないのだ。 (2007/8/22)
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