{1775年4月18日 ボストン郊外 レキシントン}
「集まれ! イギリス軍が来るぞ!」
イギリス軍がこちらへ向かっているとの情報はすでに愛国派の周知するところとなっていて、夕暮れ時のレキシントンは準備に忙しかった。
アメリカは淡々と、マスケット銃の手入れをする。
「ついに戦争だな」
誰かがぽつりと言ったが、アメリカはそれを無視した。
――情報を制する者は戦いを制する。
いつの日か寝物語に聞いた君の口癖も。
――ちょっと迂闊なんじゃないかな、イギリス。
あちらの情報は既に筒抜け。武器は見つかる前に別の場所に移動し、首謀者が逮捕されそうになればこちらも兵力を集め待ち構える。
――こんなへたくそな戦い方で、世界の大英帝国だなんて言ってたのかい。
昔の自分なら大笑いするところだが、何かが違う気がした。
素直じゃない君の、巣立つ自分への餞別か、それとも、飼い犬に手を咬まれるというありえない事態に動揺していたのか。
「ずっと後者だと思ってたけど、実際どうなんだろうなぁ……」
「さっきから何ブツブツ言ってるんだよアルフレッド。マジメにやる気あるのか? 少しは緊張してくれ! ――あぁ神様! まさかホントに本国軍と武力衝突なんかしないよなぁ、なぁ?」
「怖かったら逃げてもいいよ。強制はしない」
「あのなぁ、俺はお前に言って……けど俺だって家族がいるしさぁ。武器を隠しとくだけでももう、いつバレるかって怖くて眠れなかったんだぞ」
「そう。でも大丈夫。君がいてもいなくても、この戦いはこちらの勝利だ」
「……なんでそんな自信満々なんだよ」
「俺は未来を知ってるから」
「つくづく変な奴だな、お前って」
これには答えずに、うーんと大げさな伸びをして、にこっと笑ってみせた。
「ちょっと風に当たってくるよ。疲れちゃった」
「え、おい! 本国軍が来たらどうするんだよ!」
「来るのは朝だよ」
「だからなんだよその自信!」
イギリスを迎え撃つ準備に忙しい喧噪から離れて、薄闇に紛れた。
ようやく静かに考え事ができる。
――イギリス。
頭を撫でる大きな手、優しく笑った顔、心地よい子守歌、自分を守る頼もしい背中、だんだんと近づいてくる目線の高さ、君に近づけるという青い浅はかな喜び。
「明日、か――」
いよいよ明日。
――俺は君に、銃を向ける。
思わずその場にしゃがみこんだ。吐き気がする。
「……ぅ」
本当に、本当にこれは避けられないことか。
本当にこれしか道はないのか。
――もう君の“付属物”だなんて我慢できないんだ。
俺は一つの国に、「アメリカ」になるんだ。
目の前をイギリスの笑顔がちらついている。その度に胸が苦しくて、気持ち悪くて、吐きそうだ。
銃を突きつけた時のイギリスの顔は、いつしか、あの日の――ここに、過去に来てしまう前の――些細な悪態に傷ついたイギリスの顔と重なって、ぐちゃぐちゃになった。
――ビールを飲んで寝て、それで忘れられることか?
いやなことがあった時の、イギリスの癖。
――それなら、そんな顔しないでよ。
ふっと人の気配を感じて、静かに立ち上がる。
背中の銃に手を伸ばした。
イギリスが来るのは明日のはずだ。でも、ひょっとしたら斥候がいたのかもしれない。
よく見れば、暗闇に一つの影。
向こうも自分を認めたらしい、身じろぐ気配がして、そして彼は、くるりと踵を返した。
「……ッ」
これで自分の安全は確保されたはずなのに、その行為にひどく焦燥感を覚えて、思わず手を伸ばす。
銃のことなど、もう忘れていた。
(2007/9/15)
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