{1773年 ボストン港}
あぁ、あの船だな……。
潮風を受けながら、アメリカはぼんやり、入港してきた一隻の商船を見つめていた。
港では、船の入港をめぐって住民とイギリスの役人が何やら小競り合いをしている。
あの船にはいっぱいの茶葉と、そうして、小難しい顔をしたイギリスが乗っている。
いつの間にか、子供の頃に胸躍らせて待っていた楽しいことは輝きを失って、自分はつまらない大人になった。自分は悶々と楽しくないことばかりを考えている。
たとえば、イギリスが訪れてくることもそう。
いや、大人になったことがいけないんじゃない。
忙しさとか色んなしがらみとか、そんなものに構って無気力になってしまった自分がいけないのだ。
きらきらするものをずっと大事にしたまま、大人になれる人だっているのに。
いつから、彼の来訪を、昔のように無邪気に喜んで楽しんで、歓迎してあげられなくなったんだろう。
珍しくそんな感傷的なことを考えながら、アメリカはまだ迷っていた。
あの茶葉を果たして、海に投げ入れていいものか。
イギリスが、何か信じられないものを見るかのように自分を見ていたことを、先ほどから何度も思い出している。
自分がイギリスを裏切ったというのなら、たぶんあの瞬間に、初めて自分はイギリスを裏切ったのだ。
彼は、そういう、顔をしていた。
傷つけられた者の顔。
(ほら、これ紅茶っていうんだ。すごくうまいぞ。前にオランダん家にいた上司が持ってきたんだけどな。最近じゃ庶民もみんな飲んでて、これはお前にも紹介してやらなきゃと思って。もう、つべこべ言わずに飲めよ!)
(熱いんだってば、急かさないでよ。あ、ほんとだ……なんかホッとするね)
(だろ! 今度からいっぱいお前ん家に輸出してやるからな!)
そうイギリスが得意げに笑ってから、まだ何十年も経ってないのに。
イギリスは本当に紅茶を気に入っていた。その、喫茶習慣という新しい文化をアメリカと共有することは、彼にとって計り知れない意味をもつものだったのだろう。
その茶を、自分は海に投げ捨てた。
よほど腹が立っていたんだろう。今となっては何でそんなことをしたのかよくわからない。
ただ、ひどく傷ついたイギリスの顔が、頭の中をめぐっている。
自分はそれがよほどショックだったようだ。
何せ押しつけがましい茶法とやらに腹が立ったはいいが、イギリスに決定的に嫌われるのだけは怖くて、原住民のフリをしてまで投げ捨てたのだから。
「フッ……」
思い出すたびに自嘲の笑みが漏れる。
――そんなことでイギリスの目を欺いて、嫌われることだけは避けようだなんて、まったく青臭くて涙が出てくるよ。
「アルフレッド、あの積荷が下される前にやるぞ。今更怖気づいたんじゃないだろうな」
いつの間に集ったのか、背後には数人の男たちがいた。
「……まさか」
アメリカは気のない返事をして、振り返らなかった。
「俺たちの生業を、本国のありがたーい東インド会社サマが全部持ってっちまった」
「そうだね……何考えてるんだかね、あのバカ」
イギリスが何を考えていたのかなんて、そんなことは知らない。
けれどあの頃の彼は本当に自分本位で、アメリカが大きくなってきていて、もっともっと大きくなりたがっていることに、目をつぶろうとしているように見えた。
――どうやったら、君を傷つけずに自由になれるだろうか。
自分を縛りつけている者が彼である以上、そんなことはできるはずもないのに。それでも祈ってしまう。
この歴史を、変える気もないくせに。
(結局自分の利益しか考えてないんじゃないか。あぁ、醜い醜い)
醜いのは自分だ。
「君が早く認めてくれれば、楽になれるのに……」
潮風が目にしみた。
(2007/9/14)
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