イギリスと朝から晩まで一緒にいる生活が一ヶ月ほど続いた。
 こんなことはかつてなかったように思う。
 自分が知っている限り、彼はいつでも本当に忙しかったので、三日もいてくれればそれはそれは天にも昇る気持ちだったことを覚えている。
 最初は勘弁してくれと思ったが、慣れてくれば、子供のフリでイギリスに優しくしてもらえるのは楽しかったし、ずいぶん無茶な約束もすでに十二は取りつけた。
 イギリスは歌を歌いながら庭の手入れをしている。
 ああ、やめてくれよ、そんなところに勝手に薔薇植えるの。どこから持ってきたんだいそれ。
 せわしなく働くイギリスをぼーっと眺めながら、うとうとと舟を漕ぐ。体が幼いせいなのか、この時間になると無性に昼寝がしたくなっていけない。
 できれば昼寝はしたくない。
 昨日は緑色の服を着た妖精が、自分をバラのトゲがついた蔓でぐるぐる巻きにする悪夢を見た。
 あと少しでハンバーガーに手が届くところだったのに。しかもスーパーサイズの。
 ここ一か月イギリスの手料理しか食べていないのだ。食べ物の恨みは恐いぞ。
 眠いせいか思考が意味不明だ。
 コンコン。
「Greensleeves farewell adieu……、誰か来た?」
 イギリスの声に、現実に引き戻される。
 身を起こすともう一度、コンコン、とノックの音がした。
「ほんとだ。誰だろう」
 この頃の自分を訪ねてくるのなんて、イギリスくらいなものだったけれど。
「寝てていいぞ。俺が出る」
「ん……いいよ、俺出る」
 結局二人で玄関へ向かう。
「誰だ?」
 ドア越しにイギリスが問うた。自分はまだ完全に睡魔を追い払い切れていない。
「イギリス国王の命で参った。こちらにカークランド卿はおられるか」
 イギリス国王の使者。
 イギリスを呼び戻しに来た?
 一気に目が覚めて、イギリスを見上げると、なんともいえない表情だった。
 緩慢な動作で扉を開ける。
 使者はイギリスを見ると、恭しく礼をして「陛下より書面を預かってまいりました」と、イギリスに一通の封書を渡す。
 イギリスはしばらくそれを眺めて、厳しい顔で軽く額を押さえた。ここ最近見なかった、仕事の顔だと思った。
 独立してからはむしろこっちの顔しか見ていないのだが、小さくなってからは、自分を慈しむような、プライベートの顔とでもいえばいいのか、そういう表情しか見せていなかったから。
 でも、もともとイギリスはどこか二面性のある奴だった。そういえばと今になって思い出す。
 そんな風に振舞うイギリスが嫌いだったことも、思い出す。
(だいたい君は昔から、いい人ヅラして裏であくどいことばっかりやって、結局自分の利益しか考えてないんじゃないか)
 ここに来る前に、彼に投げつけた言葉がまた、頭の中をリフレインしている。自分がこんなところでぬくぬく君に愛されてるあいだに、何百年か先の君は泣いているのだろうか。
「わかった。先に行って、俺は明日には発つと陛下にはお伝えしてくれ」
「かしこまりました」
 唐突に眠気から解放されて立ち尽くすアメリカの前で、パタンと扉が閉まる。
「イギリス、帰っちゃうの?」
 どうせ手紙の内容は、聞いたって教えてくれないんだろうな。
 昔の自分なら「ねぇ何て書いてあったの?」と騒ぐところだが、疲れるのでやめておく。
 彼は抜け目のない男だったので――ああ、それを知ったのはずいぶん目が悪くなってからだ――自国の政治機密は決して、たとえアメリカ相手にも漏らしたりはしない。
「うん、ごめんな。……そうか、やっぱり仕事はあるのか」
 後半の呟きに、そりゃ、あるだろう、と心の中で返す。何考えてるんだよ。
 しかも一か月も留守にしてたツケは大きいぞ。
 明日からのイギリスの苦労を思う。せめてもの慰めに、今日は思い切り甘えてやろう。
「でも明日まではいるから。今日はごちそうにしような」
「もう焦がさないでね」
「う、わ、わかってるよ。だいたい、しっかり火を通すのが大事なんだぞ」
「はいはい」
 やっぱりおいしくはないごちそうの後、イギリスは家中を奔走していた。アメリカはその後を何をするでもなくついていく。
「俺が帰っても、寂しくなったらいつでも呼べよ。あと戸締りしっかりな。最低二日に一回は掃除するんだぞ」
 イギリスはバタバタとその辺を引っくり返している。薪や漬け込んだ果物がまだあるかとか、全部残されるアメリカのための支度。
 たぶんイギリス自身のことなんか忘れてるんだろうな、と思ったから、こっそり明日出る定期便のチケットを取っておいてやった。しかも一等席だ。感謝してほしい。
 子供の頃なら、こんなに気は回らなかっただろう。
「それから、街の方はまだいいけど、未開拓地の方に行くときは、あんまり一人で行くなよ。ちゃんと銃持ってな」
「うん」
 もー、わかってるよー、と口をとがらせるところだが、ここは黙ってうなずいておく。
「それからそれから……」
 イギリスは、切なげな目をこちらに向けた。
「……まぁ、平気か。アメリカはしっかりした大人だもんな」
 そう言うくせに、頭をなでるその手はいつまでも離れようとしない。
「それよりイギリス、よかったの? 一ヶ月も本国を留守にしたりして」
 大人の自分がこんなことを言えば「いいわけねーだろ、このバカ」と返されるのだが、イギリスは高い位置からふっと微笑む。アメリカを安心させるかのように。
 そう、いいわけないのだ、どう考えても。今頃国王陛下もさぞお怒りだろう。
 ――こういうのを子供扱いっていうんだよな。
 お前は何も気にしなくてもいいんだよ、俺が守ってやるから、とでも言いたげな態度がやけに鼻について、イギリスの腕を振り払うように「トイレ!」と駆け出した。
 あぁ、ほんとにこのままじゃまた同じだ。
 何度やり直しても、俺たちはうまくいかない。
「言わなきゃわからないのかな……あのバカは」
 イギリスがいないのを確認して独りごちる。
 独立前に何度も感じた些細な違和感。自分を守ってくれる大きな大きなイギリスに、全幅の信頼を置いていた頃からすでに感じていた。
「言ったんだけどな、何度も」
(子供扱いしないでよ)
 結局、君にはわからないのか。
 世界の大英帝国サマには。


















(2007/9/6)



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