「え? 茶の発注を間違えた?」
はぁ、それが、と目の前の男ははっきりしない返事を繰り返す。
この男にも、このセリフにも、覚えがあった。東インド会社の重役だ。
「……ちょうど安くていい茶葉が大量に入ったといいますか……」
「で、本国じゃ捌けそうにないんだな?」
言わんとするところはすでに知っている。ぴしゃりと結論を言い当てると、相手の男は少しホッとしたように言う。
「……まぁ、そういうことにもなります、か……」
(へぇ……まぁ、安いんだったらいいんじゃないか? アメリカにでも持ってってやろう)
何も考えずに自分がそう発言したことを、今でも悔いている。忘れたことなどない。
「どうするんだ、それ。ただでさえ国は金がないのに、大赤字だぞ」
「……はぁ……いえ、ホントに、輸出先さえ確保できますれば……」
「輸出先? どこに」
アメリカ、とは言ってほしくない。けれどなんとなく、諦めにも似た感情で、それは避けられない気がしていた。
「……あー、そうですね……アメリカはいかがでしょう……」
反対する理由が自分にはない。
このまま在庫を抱えれば英国貿易の要、東インド会社は大赤字。アメリカにも喫茶習慣は根づいているし、どうせ在庫処分、安く売られる茶葉に住民も喜ぶに違いなかった。
誰もがそう思う。反対する合理的な理由などない。
でも、自分は結果を知っているのだ。
本国は植民地の貿易を支配する気だと叫んだアメリカ。赤く染まった海。
「課税法だってことごとく廃止に追い込まれたじゃないか。今あいつらは本国に自治権を取り上げられると少々過敏になってる。……あんまり刺激しない方がいいんじゃないか」
控え目に反対の意を示した。
すると男は唯一の逃げ道を封じられたと思ったのか、急に熱をこめてしゃべり出した。
「そうやっていつまでも『有益な怠慢』とやらを続けるおつもりですか。もう植民地も軌道に乗りました。奴らも英国民のはしくれなのですから、義務は果たすべきです。それに今回の話は課税とは別物。安くていい茶葉を融通してやろうというだけですよ」
「でも……」
「この話は議会にかけさせていただきます。そんな漠然とした不安だけで、わが社の危機をお見捨てなさるか、カークランド卿は」
「でも……。……いや、いい……」
パタン、とドアが閉まって、部屋は静まり返る。
茶法は議会を通過して、アメリカは激怒するだろう。
ボストンの海は真っ赤に染まる。
その経済損失に激怒した本国議会はボストン港を閉鎖し、マサチューセッツの自治権を取り上げるのだ。
自治権という一番大切なものを取り上げられたアメリカが、二度と自分に信頼を向けることはない。
もう秒読み段階に入っている。
どこかでこの負の連鎖を止めなければいけない。
自分はなんのためにここにいるんだ。すべてを知ってなお、なぜこんなところでじっと座ってため息をついている。
議会に怒鳴りこんででも、陛下に土下座してでも止めるべきじゃないのか。
でなければ、アメリカは――。
アメリカは自分のもとから離れていってしまう。
それでも立ち上がって議会に怒鳴りこむ気になれないのは、心のどこかで、イギリスがまだ迷っているからなのだった。
「止めてどうする……」
ほんの少し独立が遅れるだけで、根本的解決になっていない。
アメリカが自分の植民地である以上、本国の経済状況が悪化すればまた同じことが起こるし、アメリカはいつまでも本国の事情に振り回される。
フランスはもうアメリカに手を出さない。
守ってもらう必要がなくなった以上、もうイギリスは、アメリカにとって邪魔なもの以外の何物でもないのかもしれない。
でも、でも……。
あの日あの大地で、無邪気に笑った顔。
俺を迎える満面の笑み。「だいすき」と言ってはばからない幼い君。
(結局自分の利益しか考えてないんじゃないか。あぁ、醜い醜い)
「あぁ……俺はホントに醜いな」
あめりか。
「結局自分のことしか考えてないんだ」
お前の幸せなんて、これっぽっちも。
ただ記憶の中の、いつまでも従順なかわいいアメリカが恋しいだけ――。
「あめりか……」
――俺はどうすればいい。
(2007/8/31)
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