そうして一ヶ月が過ぎた。
 夢から覚める気配もないまま、今日もアメリカの世話をする。
 昼寝の時間なのか、先ほどからアメリカはうとうとしていたが、眠気に必死に抵抗する姿勢の表れなのか、何度言ってもベッドには向かおうとしない。
 今も敢えて固い椅子に腰かけて、イギリスが庭仕事をするのを眺めていた。
 いい天気だったので気分が良くて、歌を歌いながら薔薇を植えていく。
 ちょうどカクン、とアメリカの首が傾いた瞬間、コンコン、とノックの音が響いた。
「Greensleeves farewell adieu……、誰か来た?」
 手を止めて耳を澄ます。もう一度コンコン、と音がした。
「ほんとだ。誰だろう」
 アメリカが眠そうな声で呟く。この一ヶ月間、来客はなかった。
「寝てていいぞ。俺が出る」
 本当に眠たそうな声で言うから、一人で玄関に向かおうとしたのに、アメリカはのろのろと椅子から降りる。
「ん……いいよ、俺出る」
 結局二人で玄関へ向かった。
「誰だ?」
 ドア越しに問うと、ビジネスライクな男の声が響いた。
「イギリス国王の命で参った。こちらにカークランド卿はおられるか」
 聞いた瞬間に、ぱちんと何かがはじけた気がした。ふわふわした夢から急に覚めたような。
 ――本国からの使者。
 身動きができないでいると、アメリカが俺の様子を窺うようにして、そうしてゆっくり扉を開けた。
 使者はイギリスを見ると、わざとらしいくらい恭しく礼をして、「陛下より書面を預かってまいりました」と一通の封書を差し出す。
 ――俺を呼び戻しに来たのか。
 わかっていたけれど、封書を開く手が少し震えた。
 ――なんてばかだったんだろう。
 これが夢でなくて本当に本当の過去ならば、当然いつまでも自分はアメリカのところにいていいはずがないのだ。
 当然自分には本国での仕事がある。それが理由で昔は寂しがって泣くアメリカを何度も置き去りにせざるを得なかったのだった。
 一ヶ月も自分が国を空けた。それが意味するところを考えて、うすら寒くなった。
「わかった。先に行って、俺は明日には発つと陛下にはお伝えしてくれ」
 でも、自分は同じ過ちを繰り返したくなくて、今ここにいるのだ。
 今できる最善の策を必死で考えて、ようやく口を開く。
「かしこまりました」
 使者はもう一度、感情のこもらない礼をした。
 使者が帰ってしまってドアが閉まっても、まだ心臓がバクバクしていた。事態がうまく把握できない。把握することを理性が拒否している。
 ――どうしろっていうんだ。
「イギリス、帰っちゃうの?」
 不安そうにアメリカが見上げている。
 ああ、そんな顔しないでくれ。
「うん、ごめんな」
 ごめんなごめんなごめんな。
 ごめんなごめんなごめんなごめんな。
 せっかくお前とやり直せると思ったのに。今度はずっと、一緒にいてやれると、寂しい思いなんて絶対にさせないと、お前の望みはすべて叶えてやれると、そう思ったのに。
「……そうか、やっぱり仕事はあるのか」
 だからこそ、これはまぎれもない現実だと実感できる。
 必死に呼吸を整えて、今すべきは何かを考えた。
 もう二度と、自分は失敗するわけにはいかないのだ。
 アメリカ。
 お前を、手離さないために。
「でも明日まではいるから。今日はごちそうにしような」
 精一杯の笑顔を作る。
 アメリカは「帰らないで」とだだをこねるでもなく、その笑顔に応えた。
「もう焦がさないでね」
「う、わ、わかってるよ。だいたい、しっかり火を通すのが大事なんだぞ」
「はいはい」
 アメリカに精一杯のごちそうを振る舞ったあと、イギリスはアメリカを残していくための準備を始めた。
 薪はまだ十分あるか、漬けておいた果物は?
 ああもう、馬の飼葉が残り少ないじゃないか。
 アメリカは家中を見て回る俺の後にくっついてくる。少しでも一緒にいたいんだろう。
「俺が帰っても、寂しくなったらいつでも呼べよ」
 そうしたら、どんな仕事を投げ打ってでも帰ってこよう。
「あと戸締りしっかりな。最低二日に一回は掃除するんだぞ。それから、街の方はまだいいけど、未開拓地の方に行くときは、あんまり一人で行くなよ。ちゃんと銃持ってな」
「うん」
「それからそれから……」
 銃の手入れはしっかり、火の扱いには気をつけて、頭の中は言いたいことでいっぱいだ。できたらずっと俺がついていられたらいいのに。
(俺、やっぱり自由を選ぶよ)
 は、と目を見開く。
「……まぁ、平気か。アメリカはしっかりした大人だもんな」
 目の前で素直にうなずいていた子供の頭をなでる。
 そうだ、俺がいつまでもこうやって子供扱いして、おせっかいなのが嫌だったんだよな。
 こんなに心配なのに。
 でも、ここはアメリカを信じてやらなきゃいけないんだ。
「それよりイギリス、よかったの? 一ヶ月も本国留守にしたりして」
 ほら。
 自分だって寂しいだろうに、ちゃんと俺の立場をわかって、俺の心配をしてくれている。もうアメリカは立派な大人だ。
 どうして自分はこんなにダメな兄なんだろう。
 心配ないよ、と笑ってみせた。
 するとアメリカは何を思ったのか、むっつり黙りこむ。
 どうした、と聞こうとした矢先、なでていた腕を振り払われた。
「トイレ!」
 そのまま駆けて行ってしまう。
 残された自分の腕は中途半端な空をさまようだけだ。
 また、何かいけないことをしてしまった。
「……はぁ」
 溜息をついて作業を再開した。あの眼鏡のアメリカをここへ連れてきて、今のは何がいけなかったんだと首根っこつかんで訊いてやりたい。
 ばかだなぁ、と、彼の声が聞こえた気がした。
















 BGMはグリーンスリーヴズ。


(2007/8/19)



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