ツートントントントン。
軽快なリズムで上下する指は。
あいつのもとへ、一瞬で届く言の葉。
海の底を走って。
水底のホットライン
『これで本国のニュースもいち早く届くな、嬉しいだろー。前のケーブルは77日でぶっ壊れたけどな、今度はそうはいかないぜ。さすがうちの科学技術! すごいだろ!』
『……君、いい加減自分のこと本国っていうのやめないかい?』
『おっとこれは失礼。しかし今の時代重要なのは情報だからな。イギリスアメリカ間、大西洋横断海底電信ケーブル開通、心から喜ばしく思うよ』
『まあ、せいぜい利用させてもらうさ』
『こっちのセリフだ』
ふ、と一息ついて紅茶を一口。妖精がすっと近寄ってきて、電信機の周りをうろうろした。
「何してるんだ?」
(イギリス嬉しそう)
「へ?」
(これなぁに?)
「あぁ、これは電信機っていって、離れた場所に電気の信号を送るんだ。『ツー』と『トン』の組み合わせで、意味が決まってる」
(よくわからないわ)
「あぁ……と、要するに、離れた場所にいる人と話せるんだ」
(じゃあ今もお話してたの?)
「そうだよ」
(とても仲のいいお友達ね?)
「えぇ? なんでだよ?」
(さっきも言ったわ。イギリス、嬉しそう)
「そ、そりゃ嬉しいよ。アメリカの情報がリアルタイムで入ってくれば、軍事的にも経済的にも戦略の幅がぐっと広がって……」
言いかけたところで、再び電子音が響く。
『さっそく君の大好きな情報だけど、こっちは嵐になりそうだよ。まぁこれは海底通ってるから影響ないだろうけど』
『え、嵐? 平気かよ……』
『平気平気。じゃ、色々備えもあるからまたね』
『お、おう……』
もちろん、得意先までの航路くらいはだいたいの天気も把握しているが、実際本人の口から聞くと、それは単なる情報でなくて、身に迫った事態なんだなという重みがある。
(よくない知らせ?)
「大したことないだろ。……って、あいつも言ってるんだし……」
さ、仕事仕事。
もぞ。
本日9回目の寝返り。
(……眠れないの?)
いや、うん。わかってるよ、俺いつもよりそわそわしてるって。
それというのもあのバカが、あれきり音信不通だからいけないんだ、くそっ。
でも色々奔走してたりしたら、こっちから連絡しても迷惑だしな……。
嵐、ひどいのかな……。
怪我してたりしないよな……。
今あっちは何時だろう。
時差なんて今までこんなに意識したことなかったのに。
俺に事後報告すんの忘れてんじゃねぇよ、くそ。気になるだろうが。
本当はその気になれば、いつでも話せるのに。
ここにあいつとのホットラインがあるんだから。
もどかしい。
あぁもう、あいつなんかに気ィ使ってんじゃねぇよ俺!
がばっと跳ね起きると、びっくりしたらしい妖精が天井近くまで飛び上がる。
ごめん、でも今それどころじゃない。
『アメリカ……?』
数拍の間。
まさか、と緊張が走る。
『ハロー、イギリス。何か用?』
…………。
能天気な文面に一瞬本気で殺意を覚えた。
『あ、ら、し! どうなったんだよ』
『えー、君に何か関係あるのかい? 今日到着の貨物船ならもう出発しちゃっただろ?』
関係ないだと? ……ああそうだ確かに関係ないな……うん。
『……そ、そのあと何か特需がないかとかその……』
『マジうざいよそのがっついた態度』
『ハァ? ってかテメーが嵐だとか言い逃げするからこちとら気になって夜も眠れねーっての! ちょっとは人のこと考えろばか!』
『あぁ……そういえばそっちは夜なのか……』
時差なんてコロリと忘れてたのはあっちもらしい。
『じゃあもう寝なよ。心配してくれてるみたいだけど、何も出ないよ』
……は?
もう本気で腹立つ。連絡なんかしなきゃよかった。
顔が見えない、声が聞こえない分、よけいに。
『ああそうかよ、おやすみ!』
『おやすみ』
――おやすみアメリカ。いい夢を。
――おやすみ。イギリス、俺より先に寝ちゃだめだぞ。
――はいはい。
考えてみれば、アメリカとおやすみを言い合うなんて、何年ぶりだ?
もう二度とそんな日は来ないと思っていたのに。
――おやすみ。
こんな耳障りな電子音。
「……決めた」
(あら、何を?)
「明日朝一でアメリカん家行ってくる」
電信機なんてこんなもの、ないときは全然平気だったのに。
なんでだろう、今はものすごく。
声が聞きたい。顔が見たい。
初めてポケベル(古)を持ったカップルのようなノリになってしまって大いに反省。でもこれくらいのピュアさが好きだ(白状)。
でもこれ実は利用料スゴイことになってるらしいですよ。なんかもう進歩への情熱だけで敷設した感じで、利用料とか度外視だったらしいので。
電信機の歴史は一応調べましたが、その年にアメリカで嵐があったかどうかは不明です(疲)。でもって奴らの時差は五時間でいいんですか。
有線電信の歴史
1776 アメリカ独立宣言(関係ない)
1844 モールス(米)、ワシントン・ボルティモア間での電信実験成功
1851 英仏間海底ケーブルの敷設(相場なんかを伝え合ってウキウキ。それまでは伝書鳩とか使ってたらしい)
1858 米英間海底ケーブルの敷設(77日で不通に)
1861 英印間海底ケーブルの敷設(故障頻発)
1866 米英間海底ケーブルリベンジ
1876 ベル(米)、電話の発明
1895 マルコーニ(伊)、無線電信の発明
1901 米英間無線電信の交信に成功
「海底電信ケーブル」に最もこだわってガリガリ敷設を試みたのはイギリス(の民間会社)のようです。さすが孤島! 情報の鬼!
(2007/7/28)
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